気付いたのは些細なことで、日常の一端に隠れていたそれを、もしかしたら俺は何てことはなく流してしまっていたかもしれない。たまたま見えたのであって、決して見たわけではない。確固たる意思などなかった。 「おい、口の端に血ィ付いてんぞ」 冷たい風が吹く二月のことだから唇が切れて、なんてこともあるだろう。いけ好かない野郎にわざわざ何でそんなことを言わなきゃならねェのかとも思ったが、言ってしまっていたのだからしょうがない。銀色の髪に血の赤は嫌というほど映えていたのだから。 ヤツは怠慢な仕草で口の左端に指を当てて、赤く濡れた指を確かめた。どこか非現実的で、同時にとてもリアルな時が流れていく。ヤツは指に視線を落としていたかと思うと、その指をぺろ、と舐めた。ぞくり、とまるで俺の身体が舐められたのかと錯覚する。背中を何かが走り、言いようもないものが体に広がり、頭に警鐘を鳴り響かせる。動きたいのに動けない。いつの間にか会っていた視線から一ミリ足りとて動かすことが出来ずに、赤く輝く瞳に囚われる。 「あぁ、コレ、癖なんだ」 普段と寸分違わない口調の中に狂気が見え隠れする。汗が垂れる感触が生々しくて気持ち悪い。拭うことも出来ない自分に腹が立つ。コイツはあの万事屋の野郎じゃねェか、何で俺がビビんなきゃいけねェんだ。ハッと笑い飛ばそうとして、喉は微かな音を立てただけだった。 「だって、おいしいじゃん、血」 何言ってんだコイツ。頭狂ったのか、ネジぶっ飛んだのか。とりあえず精神科行くべきだ。治療費は俺が出すから、入院でも何でもしてくれ。 てらてらと光る唇は赤く染まっていて、紅を指した遊女のようだと思った。目が話せない、お前は一体何をしたいんだ。俺にも血を飲めだとか、俺の血を飲ませろだとか言い出すんじゃねェだろうな。 警戒したのに気付いたのか、ヤツはあっさりと俺から離れ、その時ようやく俺は間近まで顔が迫っていたことに気が付いた。周りに誤解でも与えかねない構図だったんじゃないだろうか。ヤツは辺りを気にするでもなく背を向けて手を振った。 「じゃあね」 一体何がしたかったのか。おそらくたった一分ちょっとのやり取り。 目に焼き付いているのは、鮮烈な赤と、飢えたような瞳だった。 吸血鬼は誘い、狩人は応じる。その先にあるのは。 |