蝉の喧騒がピタリと止み、風こそないものの暑さが和らいだように感じる。
不可思議な状況であったが気にもせずにぺらりと紙を一枚捲る。
長い髪が前に落ちて来て耳に掛け直したが、無駄なことだったと気付き、呆れたように溜め息を吐いた。

「…またか」
「いつものことだろうが。いい加減慣れろよ、ヅラァ」

ヅラじゃない、桂だ。と律儀に返すと髪を一房掬い取られる。
柔らかい為にさらさらと手から零れ落ちる髪を楽しむかのように幾度も繰り返す。口にはしない始まりの合図。

「久し振りに静かな夜を過ごせると思ったのに」
「お前ェは昔から一人静かにしてんのが好きだったよなァ。俺と真逆だ」

真逆、か。あの頃から俺も昔も攘夷から抜け出すことが出来ないのに。
いや違う。高杉がしようとしているのは国を壊すことだ。誰も救われることのない。

「でもほんとは暴れまわりたいんだろ?お前の心ン中にも獣がいる。
隠そうとしたって分かんだよ。檻の中に閉じ込められた獣の呻き声が、俺には聞こえる」

どこか嬉しそうに話す声を聞きながら、また一枚紙を捲る。

「なァ、こんなとこ窮屈だろ?全てを壊したいと思わねェか?」

答えることなく肩を押し返して近付いた体を離し、手にしていた本をぱたりと閉じる。

「………くだらん」
「…ハッ、そうだったな。手前ェはもう牙すら持ってねェからな。なら、俺が壊してやるよ」
「お前が俺を傷付けることなど出来ないさ。俺はそんなに脆くない」

本に視線を落としたまま言い切ると、一瞬の間があり、高杉は狂ったように大声で笑った。
周りにばれたらどうするんだ。じろりと睨み付けると狂気が宿った瞳と目が合う。血に染まったかのように赤い目。

「はははははっ、どの口がんなこと言うんだァ?初めて抱いた時は泣き叫んでこの世の終わりみてェな顔してたのに。手前ェは大概嘘吐きだなァ?」

荒々しく押し倒され顔を顰める。両手は拘束のために頭上で縫い止められる。
手首に爪が刺さりじくじくとした痛みが伝わる。血が滲み出ているのだろう。

「……高杉」
「心の奥底では壊れたいと思ってんだろ?なァ、素直になれよ」

肩口に顔を埋められ首筋を熱い舌で舐め上げられる。出ようとする声を漏らすまいと口を固く結ぶ。
蹴り飛ばそうと足をもぞもぞと動かすと耳朶をぺろりと舐められ声が聞こえた。
声というには小さ過ぎるほどのものだったが。どちらかと言えば呟きに近く、もしかしたら言うつもりもなかったのかもしれない。


『俺は、壊れちまいてェんだ』


この言葉を聞いて、跳ね返すことなど誰が出来ようか。俺がいなくなれば拠り所を失った彼は本当に壊れてしまう。
それだけは防がなければならない。たとえ、この身が果てようとも。
もし昔に戻れたなら、違う今が待っていたのだろうか。過去を変えることなど出来ないと充分すぎるほどに知っているけれど。
体中を襲う痛みの中で、口付けだけは残酷なほど優しかった。






























高桂は恋や愛と無関係のところにあるのが理想です。