愛する者が死んでしまうよりつらいことを、知っていますか。






携帯を耳から離しボタンを押すと、ピッという電子音が響いた。
周りに人がいないからかもしれない、やけに大きく聞こえた。
ふう、と息を吐いて、土方は思い出したように携帯の電源を切った。
そういや病院だった。

くるっと踵を返し、土方は涼しい空調の入った病院に足を踏み入れた。
今は電話をする為にわざわざ外へ出て来たのであって、病室に行くのは簡単だ。

最上階の一番奥。
幹部格が負傷した際に利用する、真選組専用の部屋だ。
攘夷浪士に狙われることがあるためだ。
病院でも利用しているのが真選組というのはおろか、そこに部屋があることさえ知らない者が多い。
それだけ恨みを買いやすい職業なのだ、真選組とは。

ドアを開けるとやたらと真っ白なのが目に痛かった。
白い布団から包帯が巻かれた黒い頭が覗いている。
ベッドの横には椅子が三つあり、総悟と山崎が座っていた。

「あ、副長」
「山崎?お前、何でここにいんだ?」
「たまたま近くにいたんで」

にへら、と山崎は笑った。仕事中じゃねェのか?
大方サボりだとは思うが、ここに高杉と総悟が二人切りという状況にならなくてよかったと安堵する。
有無を言わさず斬ってしまう可能性は否定できない。

「てか、土方さん。ここ真選組専用なのに高杉を入れちまっていいんですかィ?
今後襲撃でもされたらどうするつもりでさァ」
「一般人のいる病室に入れられるわけがねェだろうが。
病院に入れないで監獄で死なれたら、仲間の居所を吐かせることも出来ねェ。
それに、部屋はここだけじゃないしな」
「ハア、そうですかィ」

沖田は気のない返事をすると両手を頭の後ろで組んだ。
すうう、ふうう、とゆったりした呼吸の音が聞こえる。
高杉の奴、寝てんのか。
周りに真選組がおり、怪我を負った状態では逃げ出すのは難しいから、機会を窺うために布団に潜り込んでいたのだと思っていた。

コツ、コツという音が聞こえて慌てて振り返ると医者が来ていた。
パイプ椅子から立ち上がる音が響いて、ベッドからくぐもった声と共に顔が覗く。
左目を隠す包帯と頭の怪我に巻いている包帯の見分けがつかないくらい、たくさんの包帯が巻かれていた。

「起こしてしまいましたか」

医者は困ったように微笑むと高杉の元へと近寄った。
起き上がった為に布団が重力に従ってベッドに落ちる。
両腕には幾重にも包帯が巻かれている。白い、と思った。包帯も、腕も。
身体中に巻かれているのだろう、高杉は痛みに顔を顰めた。

「無理に起き上がらなくてもいいんですが…。まあ、意識が戻ったので一安心です」
「……………」

餌を求める鯉のようにぱくぱくと口を動かし、高杉は医者に困惑した瞳を向けた。
懸命に動かしているがその口からは何も聞こえない。

「…口が、利けない?」

耳はちゃんと聞こえているのか、高杉はこくりと頷いた。
医者はカルテに目を向け暫し考え込み、土方達に顔を向けた。

「身体に大怪我はありませんでしたが、頭の打ち所が悪かったのかもしれません。
あと、口が利けないということは、何らかの精神的ショックがあった可能性がありますね」
「精神的ショック?」

こいつがそんな玉か?
人に精神的ショックを与えることは何度もして来そうだが、この男はそんなに柔じゃない。
信念を貫く誇り高き魂。
だからこそ、自分は惹かれ、届かないと知っていながら何度も手を伸ばした。
欠片でもいい。魂が眩いばかりに放つ光に触れてみたかった。

願いが恋に摩り替わっていたのは、いつだったろうか。

高杉。
なぜ俺を助けた。どうして自分を身代わりにした。
ただの気紛れだと言うのか。勘違い、するじゃないか。
叶わない、と知っていながら、一筋の希望に縋っては、いけないか?

愛されていたと信じてはいけないか。

言ったっきり黙った土方を見て医者は身を竦ませた。
瞳孔が開き忌々しげに見る姿は正に鬼のようだ。

「土方さん、そんなに睨まなくてもいいでしょうが」
「そうですよ。俺、少しなら読唇術出来ますし」

土方自身、睨んでいるつもりはなかったのだが、考えごとをするとつい眉が寄る癖があるらしい。
言われて眉間に手をやれば、確かに皺が寄っている。
無駄と分かっていながら親指で伸ばした。
うー、と唸って顔を上げると高杉と目が合った。

「それで、精神的ショックてえのはどんなモンなんですかィ?」
「そうですね。例えば――」

音が消えた。
世界から医者の声、周りの雑音が消えた。
目を離せないまま見ていた高杉の口が小さく動いた。

『     』

最初の二文字しか読み取ることは出来なかったが、それは充分に土方を固まらせる物だった。
煙草を銜えていたならば、地面にぽとりと落ちたことだろう。
病院ということで彼は口を持て余していたが。
よりいっそう瞳孔が開き、口を開けっ放しにしている土方に向かって、高杉は同じ言葉を繰り返した。
気付いたのか、山崎が困惑したように言葉を繰り返す。

「あ、え、え、う、あ?いや、あれ?あれ、てす、か?」

んん?と首を捻りながら山崎はぶつぶつと呟いている。
最初の三文字は舌を動かしたので、た、な、ら行らしいが、慣れているわけではないのですぐには分からないようだ。
監察で使うと言っても、単語、会合の場所や時間が分かればいいだけのことだから、読唇術に長けているわけではない。

けれど、自分は分かってしまった。
彼が何と言ったのか。そしてこの最悪の展開を。

高杉は三回目、また同じように口を動かした。

「例えば――。記憶喪失」


『 だ れ で す か 』


死んでくれた方がマシだった。