ガナッシュクリーム、生クリーム、卵黄を混ぜて、細かく刻んだオレンジピールをアクセントに。
クリームチーズにバニラビーンズを混ぜて、レモンの酸味を利かせて。
焼き上げれば、対照的な色合いのショコラとチーズケーキが鼻腔をくすぐる香りと共に焼きあがり、お店に出され、人々を笑顔にする。
…筈だった。







今日も慌しく一日が始まる。
ボウルに泡だて器、お皿を洗って、機械の点検、店内の掃除。
材料を運び、量り、ケーキを作る。

「よいしょっ、と」

小麦粉の袋を肩に担ぎ、調理室まで運ぶ。ずしりと重さが伝わるが歯を食い縛り足を踏み出した。
この後は店内を箒で掃かなければいけない。
今日も重労働だ、と新八は溜め息を吐いた。

ドアを身体で押して開けると、調理室の中はいつもより騒がしい。
時間に追われるのは日常茶飯事だが、今日は何だか様子が違った。
袋を置き、息を整え見回すと、誰彼もが携帯を手にし、耳に当てたりボタンを押したりしている。
隅でメールを打っているピンク色の髪を見つけ、人を掻き分け横に並んだ。

「何かあったの?」

ピンク色の髪の少女―神楽はメールを打つ手を止め、眉間に皺を寄せた。
ボタンを押したが液晶画面を見て、ハァ、と息を吐いた。
やれやれと言った風貌で神楽は口を開いた。

「オーナーが来ないアル」
「オーナーが?」
「別に休暇を取ってた訳でもないのに音信不通になったネ」

道理でバタバタしている筈だ。それほど大きなお店ではないけれど、固定ファンはいるし、
店を統べる責任者がいないのは大問題だ。

「はああ、本当に何やってんだよ、坂本オーナー」

実を言うと、オーナーが音信不通になるのはこれが始めてではない。
放浪癖があるのか、ちょっと牛乳を買ってくると言って北海道へ行ってしまったり、
気晴らしに海を見に行くとハワイまで行ってしまったり。
常識とは掛け離れた所にいる人だ。

そのおかげ、と言っていいのか分からないが、彼の作るケーキは独創的で根強いファンが多い。
早くに完売してしまうこともある。
店を大きくすれば儲かりそうな物なのに出来ないのは、やっぱりトップがこの調子だからだろうか。

「あ、でもさ、桂副オーナーがいれば平気でしょ?」

副オーナー、とはなっているが、実質上のオーナーではないかと噂される桂さんの名前を挙げる。
オーナーとは旧知の仲らしく、二人でこの店「Cafe SS」を立ち上げたらしい。
彼もパティシエであるが、そのケーキを見た人はいない。
オーナー曰く、「ヅラ(副オーナーの愛称)はちこっとセンスが…」だかららしい。
オーナーがいない場合は副オーナーが総指揮を取っていた。(いても取ってた気がするけど)。

「副オーナーは、昨日から休みアル」
「……………」

藁があれば、いや、爪楊枝でもいいから掴みたい。

「…この店も終わったかな」

潰れたら再就職かぁ。
今の時代、そう簡単に職など見つからない。中卒なら尚更だ。
ハハハハ、と乾いた笑いを立てながら、新八は調理室のドアを開け、夢遊病のように歩き外へ出るドアに手を掛けた。
触った所でドアノブがするりと逃げた。
目を擦ろうとして、誰かと正面衝突した。

「悪いば、ちと遅れたがー」

微塵も謝罪の気持ちが篭もっていない声でそう言い、オーナーはアッハッハッと笑った。
大きな笑い声は店中に響き、店にまた活気が戻り始めた。

「オーナー!?一体どこ行ってたんですか!」
「アハハー。面白そうなモン見つけたんじゃ。ケーキに使いたいと思うてなァ」

ポン、と手渡された物は意外とずっしりとし、ひんやりとした冷たかった。
手を開くとそこには5cmほどの高さの、2つの陶器の置き物がちょこんとあった。
両方とも人を模しているのだろうか。
片方は角と尖った羽、尻尾がついた黒色で、もう一つは頭にわっかがあり、丸い羽根がついた白色だ。
まったく違うようでどこか似通っている。

「…これは?」
「外国じゃー、こうした陶器をパイケーキの中にいれるんじゃと。切り分けてこれが入ってた者には幸運が訪れるらしいんじゃ」
「へぇ〜」
「まだ決めとらんが、何個かに一つこれを入れたら面白いんじゃないかと思うてな。
ほら、あったじゃろ、ショコラとチーズケーキ。あれに入れたら色も合うじゃろ?」
「確かにお客さんが喜びそうですね」

ツンと陶器を指で突付く。
この店の看板メニュー、ショコラとチーズケーキ。
黒色のショコラ、白色のチーズケーキということで、
店員同士では「黒10個持って来て!」、「白あと何個残ってる?」で話している。
まとめて買っていく人が多い二つにこうした仕掛けがあればもっと売れるだろう。

「名前ばつけるなら…。

小悪魔ショコラに、天使のチーズケーキ。

かのう?」
「いいですね、それ」
「まあ、物は試しじゃ、試作品として一つ作ってくれんかの」
「分かりました」

店員に引っ張られていくオーナーを見送り、陶器を握り締めた。
この時はいいアイデアだと思ったのだ。
オーナーが持って帰る物にろくな物がないということを忘れていて。



ケーキの焼ける匂いがする。もうすぐ焼きあがりだ。
オーブンの様子を見ようとしたときに、ドアが勢いよく開けられた。

「坂本ォォ!!」
「…ヅラじゃながか。そんなに急いでどうかしちょったか?」
「自分一人、自家用ジェット機で帰っといてそう言うか!?あんな辺境地から帰るのは大変だったんだぞ!」
「あの、桂さん、まだ休みじゃ…」

らしくなく取り乱して荒く呼吸をしている桂さんに声を掛けた。
休暇は明日まで取っていたのだから、そこまで急いで帰って来る必要などまったくないのに。

「そうだった。坂本、アレに何もしてないだろうな?」
「アレ…。どれのことじゃ?」
「貴様が買っていた陶器だ。天使と悪魔の形をした」
「……あの、それ、何かマズイんですか?」

嫌な予感がする。
オーブンのタイマーが一分を切った。

「それぞれ、悪魔はコーヒーに、天使はホットミルクに入れると、本当に悪魔と天使が現れるとの話なんだ」
「なんじゃぁ、ヅラァ。そんなこと、ほんまに信じてたんかァ?」
「貴様なら絶対に興味本位でやるだろう!?まあ、よかった。
黒か白の物に入れて暖めていなければ何も問題はない」
「え?コーヒーかホットミルクじゃないんですか?」
「天人の説明ではそうだったようだが、随分と曖昧な物でな…新八君?」
「桂さん、あの、すみません」

最後まで言い切れたかは疑問だ。
爆弾が爆発したかのような音が響き、調理室の中に白い煙が充満した。
一寸先さえ見えない状況で、手探りで窓の鍵を外して窓を開けた。

風によって流れていく霧の中から、影が二つ見えた。
緊張が部屋に走る。目を凝らしながら恐る恐る近付いていく。
煙の中から出てきたのは、手のひらサイズの、

人、

でした。

「ケホッ、けっむ。あー、狭かった。何か甘いモンない?」
「出た途端に言う台詞がそれか。甘いモンよりマヨネーズだろ、マヨネーズ」

銀髪と黒髪の人の背についた羽根がぴょこぴょこと動いている。
しかも、日本語を喋っている。
身体にはそれぞれ黒と白の布が巻かれていた。
固まっている新八に気付き、二人は口を揃えてこう言った。

「「おい、そこの眼鏡。甘い物(マヨネーズ)持って来い」」

誰か、夢だと言って…。

新八の願いは、煙と共に消えていった。










続かない。