楽しそうに上げる声があまりにうるさくて、仕事の邪魔だ、と叫んだら、土方さんの大声の方が仕事の邪魔ですゼ、と言い返された。
怒りが消えて何かが心を過ぎり、小さな手を握って駆けて行く後ろ姿をぼんやりと眺めた。
泣きそうな笑顔を覚えている。



一万雀



梅雨が間近に迫っているはずなのに、カラッとした空気が太陽の熱をまっすぐに通す。
絶好の昼寝日和、なんて言い出すヤツもいる。首根っこ掴んで引き摺り出したが。
あぢいーくそーなんでこんなひにみまわりしなきゃなんねーんだよーしねーひじかたーあぢいー。以下エンドレス。
いちいち答えるのも面倒臭いほど暑い。確かに暑い。声を大にして言いたいほど暑い。
だが、そんなら夏用の隊服着りゃいいじゃねェか、と言ったら、は?と鼻で笑われた。
視線には哀れみも入ってた。ムカつくクソガキ。

「知ってやすかィ、アルプス一万尺って二番もあるんですゼ」
「二番?」
「おーはな畑で昼寝をすーれば、ちょうちょが飛んで来てキスをする。ちゅっ」

唐突に話し出し、歌っておきながら、なぜか違和感を感じないのがコイツのすごいところか。
子供のような無邪気な声におかしいような微妙な思いが心の中でくすぶる。
目をつぶりながら唇を突き出した姿がネズミのようで少し笑う。

「最後はヘイじゃねェのか?」
「古いですねィ、今時はちゅっなんですゼ」

今時つってる時点で既にお前も同類じゃねーか。と思うが、自慢げに話す横顔を見て言う気が失せる。
ガキの流行なんてのは本当にころころ変わる。
遊びそのものは変わっていないのに、それに付加するルールやらが変わって、違うものに変わっていく。
昔子供だった者が知らないところで遊びは進化、あるいは退化していく。

世のこともきっとそうだ。気付かない程に少しずつ形を変えて、世界は変化していく。
気に留める者はいない。ただ子供だけが本能とも言うべき感覚でその不条理を覚えている。
だが子供は言葉に出来るほど単語を知らなくて、大人になってしまった子供は勉強やらなんやらを頭の中に詰め込んで忘れてしまうけれど。

敏感に世の中のことを感じ取る者。
不条理を感じながら不条理の中に入りたいと願う者。

大人になりたい子供。

「まぁ、本当は歌詞にはないらしいんですがね。ちなみにヘイもないですゼ。ラララララン、で終了」
「へぇ」
「何ですかィ、その気のない返事は。せっかく人が話してやってるのに」

話してくれと頼んだ覚えはないが、コイツがこんなに饒舌なのは久し振りなので反論はしない。
久方振り、いや、俺は、こんなに話すコイツを見たことがあっただろうか。

「ちなみに9番まであるんですゼ、アルプス一万尺って」
「そりゃァ初耳だな」
「無知な土方さんのために俺が、わざわざ、歌ってやりまさァ。感謝しなせェよ」

視線が合わないまま続く会話。
巧みに回る舌。それは何かから逃げるかのように。
コイツが独り言のようにらしくない話し方をするのも、声変わりをしたはずなのに子供のような声で歌を歌うのも、
あんまりにも滅多にないことで、俺はいつも随分経ってから気付くのだ。

『一万尺にテントを張れば、星のランプに手が届く』
太陽の光に照らされて光る星の髪。

『槍や穂高は隠れて見えぬ、見えぬあたりが槍穂高』
細められた空色の瞳。

昨日、異臭の中で聞こえた、か細い声。
歌だと分かるのには時間を要したけれど、声の主が分かるのには更に時間が掛かった。
場に相応しくない童謡。追悼歌なんてもの知らないから、合っていると言えば合っていたのかもしれない。
倒れているほとんどが、大人の言うことを鵜呑みにしてしまう小さな頭を持っていて、
すばしこく走れる小さな足を持っていて、人を殺せる凶器を持てる、小さな手を持っていた。

『命捧げて恋するものに、何故に冷たい岩の肌』
振り向いた、気がした。おそらく幻覚。

『岩魚釣る子に山路を聞けば、雲の彼方を竿で指す』
空を差す白く細い指。

染まらない体。一滴の血も浴びないことが、普通。
あの時だって体は汚れていなかった。
服は黒くて分からなかったが、星は輝いて、空はすべてを写していた。

『ザイル担いで穂高の山へ、明日は男の度胸試し』
体と対比して大きく見えるバズーカ。

『名残尽きない大正池、またも見返す穂高岳』
左右に乱れる歩幅。

無駄のない太刀筋。斬り、貫き、奪う。
瞬きをする間にぽろりと消える、魂だか命。
誰かのせいで、魂は命が消えた後でも残る、なんて馬鹿げた考えが生まれる自分が嫌だ。

『まめで逢いましょ、また来年も、山で桜の咲く頃に』
振り向いた。今度こそ本当に。そして笑った。


大人になりたい子供。が、俺には大人になり損ねた子供に見える。


楽しいことが好きな子供。
愛することを愛する子供。
歌う子供。
奪う子供。
血を浴びることを恐れる子供。
死から逃げ続ける子供。

「ね、いい歌詞でしょう?」

季節外れの桜が咲いて、散ろうとしている。




















らーんららんらん、らんらんらんらん…