壊れるまで踊ってくださる?




びゅうううう。風が呻き声を上げる。甲板に叩きつけられた強風は行くべき道を見失い、船にぶち当たる。
大小の風で揺れ動く中、風に身を任せながら外へと出る。サングラスを下げて覗くと、空は黒に近い濃い灰色をしている。

これから一雨来そうだ。湿った空気にそう思いながら、まっすぐ進む。
気配を消す必要はない。彼はとうに気付いているだろうから。
もしかしたら、来ることも予想していたのかもしれない。

ごく自然に彼は振り返り、気に入りのキセルから口を離して口の端を吊り上げた。
それ以上何を話すでもなく戻された顔を見ながら横に立つ。口から吐き出された煙が狼煙のように上がり、消えていく。
助けを求めても来る人などいないとでも皮肉るかのように。

「晋助」

掛けた声はすぐさま風にかき消され、呻く風の音だけが耳に届く。
聞こえているのかいないのか、彼は口から煙をふぅと出した。

「酷い天気でござるな」

見りゃァ分かる。
つまらなさそうに返された言葉は至極最もで閉口せざるを得ない。
だが、気にせずに会話を続けるのが自分だ。

「だから、そろそろ戻った方がいいでござる。体を壊すかもしれぬ」
「んなに弱っちくねェよ、俺は」

強調された「俺は」。彼は脳裏に何を思い浮かべているのだろうか。
考えるまでもない。左の目にはかつて志を共にした者たちが映っているのだろう。
時を経た今でも輝きを失わない伝説とやらも。チラつく銀と黒の髪。

「どうしたらお主から過去を消せる?」
「……俺を殺しゃァいい」

にぃと不気味な笑みを作った彼は縁に持たれ掛けて空を見上げた。
右手に持ったキセルを逆さにし指で叩いて灰を落とす。
無駄一つない動き。病的な白い指。不意に彼の頬が上がる。

「…なぜ、生き急ぐ」

伸ばした右手が痛みを訴える。甲に引きつった跡が出来ているのが見える。どうやらキセルに掠ったようだ。
突風で大きく揺れた船体。振り落とされそうになった体。
とっさに掴んでいなければ、今頃はきっと藻屑となっていた。なのに彼は相も変わらず空を見ている。 抗いもせず、まるで、落ちることを望んでいたかのように。

「生き急いでなんてねェ。俺ァただ死にたがりなだけだ」

江戸を壊すと叫ぶその口で、自らが壊されることを望むのか。

彼を覆う赤い極彩色の着物。積み上げられた屍を歩く内に染まったような。血は服だけでなく、彼をも染めた。
狂気が彼の中に入り込んで、彼を戦場へと駆り立てる。止まることを許さない。

「誰だっていずれ死ぬ。拙者も死ぬなとは言わぬ。だが忘れるな。お主が死んでも過去には戻れぬ」

過去に戻ることを望んだとて叶うわけがなく、死にたいと願っても自分たち鬼兵隊にとって彼は必要不可欠なのだから、それも叶わない。
壊すために生き、すべてを忘れたいがために死にたいと思う。
どうすればいいのか自分には分からない。彼が人間のままでいたいのか、獣に喰われてしまいたいのかも。
分かりはしないが、知っていることはある。

「お主が戻る場所はここだ」
「……ふ…っくくく、あはははは」

途切れることなく続く壊れてしまったかのような笑い声。
ひとしきり笑うと気が済んだのか、彼は小さく体を震わせながら目尻に浮かんだ涙を拭い取った。
笑いが止まると彼は背を向けて先頭を眺めた。

「違ェよ、俺はどこにも戻らねェ。地獄に逝くだけさ」

雨が降り出し、頬を伝い、体を濡らして体温を奪っていく。

「その時は、同行しても構わぬか」

答えがないのが何よりの肯定だった。死ぬまで。いや、死んでも共にいる。最後まで共にあると決めたから。
陳腐でくだらなくて狂ってる愛しき日々。


壊れるまで踊ってくださる?
喜んで。










万斎と坂本は、似ているようで正反対だと思うのです。