一時間。ふと疑問に思う。
鬼ごっこはこんなにも長い間やって楽しい物なのだろうか。
そして、何故鬼ごっこで命を賭けなければいけないのか。
「土方さーん、頭上に注意ですぜ」
「頭上」という言葉に反射的に身を屈める。
沖田の放ったミサイルは土方の上、建物にぶち当たった。
ド――ンガッシャァァン
ぱらぱらと落ちてくる破片はガラスだろうか。
あー、また器物破損か。真選組へのイメージがまた悪くなるな。
「って何してんだ、お前ェェ!」
「土方さんの頭上に蝶が飛んでいたので滅してやったまででさァ」
「色々とツッコミ所はあるんだけどな、とりあえず蝶じゃなくて俺を滅そうとしてたろ!?」
「チッ」
あからさまな舌打ちをした沖田を殴りそうになるのを必死に止め、土方は建物を見上げた。
見事なまでに消え失せた窓。
頭に江戸の地図を浮かべ、誰の家かを理解して、血の気が引いた。
「銀パの家か…」
後で難癖付けられ、法外な値段をぶっ掛けられ、ねちねちと嫌味を言われることは目に見えている。
怒声が聞こえてこないということは留守らしい。逃げるが勝ち、だ。
「早く行くぞ、総悟」
「逝ってくだされば嬉しいんですけどねェ」
「字、違ェだろ!?」
全力で突っ込みながら、ぱたぱたと走る。
予想通り総悟はミサイルを構えながら追いかけて来る。
厄介事は御免だ。
どちらも全速力を出さずに走るのはこれが冗談だと分かっているからだろう。
土方は規則正しく、吸って、吐いて、を繰り返しながら、沖田に問いかけた。
「そういえば、蝶が飛んでた、っつってたな。今はそんな時期じゃねェだろ」
「確かに蝶が飛んでました。土方さんは見なかったんですかい?」
「え?」
いつになく真面目な返答に、本当に蝶がいただろうか、と考える。
地面を見ていたから気付かなかったがいたのかもしれない。
総悟は頭が空だが細かいことには結構気が付くタイプだ。
「真っ白な蝶を」
抑揚のない無感情な声に足が止まる。
いや、感情はあった。嬉しさや高揚感、悲しさ、憎しみ、辛さが混じり合っていて、言葉で表すことが出来なかったのだ。
そして、それら全てが心の奥で思っていることを隠しているようにも感じられた。
「…知り合いか?」
「土方さんは昆虫に知り合いがいるんですかい?妄想癖、激し過ぎですぜィ」
「いる訳ねェだろォォ!!」
「だったら、俺にもいる訳ないでしょう?」
にこりと笑った沖田にぐうの音も出ない。
そういや、こいつは肝心なことは隠す奴だった。
頭が空というのは欺く為の仮の姿ではないのかとも思う。
口を割るとは全く考えられないので、溜め息を吐いて、煙草を吸おうと懐に手を伸ばした。
ブブブブブブ
煙草の箱ではなく、ほぼ同じ大きさの機器を取り出した。
「近藤さん?」
急ぎの用などあっただろうか。巡回の前に書類はあらかた片付けて置いた筈だが。
とすると問題が起きたということか。
面倒臭いな、と眉を顰めて携帯を耳に当てた。
『あー、トシか?』
「何かあったのか?」
『近くの路地裏で天人が暴れてるらしい』
「…天人が?」
『ああ、鬼の成りをしてるそうで、白髪の一般人が』
咄嗟に右に避ける。
ドオオ――ン
「総悟!何しやがんだ、てめェ!!こんな狭い所でぶっ放すな」
「広い所ならいいんですかい?」
「んな訳ねェだろォ!って、ミサイル向けるな!!」
再発射の用意をした沖田の姿を見ると、土方は携帯を閉じ、大通りに出て走り出した。
もちろん広い所に出たかった訳ではない。
天人を確保する為に近藤から聞いた路地裏に向かおうとしているのだ。
急いで携帯を閉まったのもその為だが、その所為で電話の向こう側で問題が起こっているとは、土方は知るよしもない。
カキン、カキンと景気よく金属が鳴り合う音がする。
今の江戸で、白昼堂々剣を振り回す酔狂な奴がまだいたとはな。
土方はくくっと笑って上唇を舐めた。
音の出所へ走って行くと、音に疑問を感じる。
刀にしちゃ音が鈍い。金属って言うより岩に刀を当ててるみてェな音だ。
眉を寄せるが、それよりも刀を持っている奴の方が心配だ。かなり押されてる。
「こんなに弱い奴が真昼間にチャンバラしてるってのが信じられねェな。
逃げ回るだけで精一杯じゃねェか。もちっと力の見合う相手と戦えよな」
勇ましく出て行ったはいいが、剣をろくに取ったことがないんだろう。
ったく、死人を出すのはやめろよな、面倒だから。
「…そうです…ねィ」
「お前にしちゃはっきりしねェ言い方だな。こいつはうちの平隊士より弱いだろ?」
「……そうです…ねィ」
「言いたいことがあるなら言え!俺は気が長い方じゃねェんだ」
「んなこたァ、当の昔に知ってやすゼ。あ、土方さん、音が聞こえて来るの、あそこの路地裏じゃねェですかィ?」
確かに耳をそばだててみれば、路地裏から聞こえて来ているらしい。
総悟があからさまに話を変えたのは分かっていたが、吐き出させるのは骨が折れるので今は止めておく。
何もしなくても、自分でボロ出す奴だからな。
家に背中を合わせ、様子を窺う。
打ち合う音が途絶えたと判断し、大通りに出て、刀に手を掛けた。
土方には、…の間に沖田が声を出さずに『か』を言っていたとは分かる筈もなかった。
「オラオラ、真選組だァ!刀を納め、ろ、ウオオオオ!?」
かっこよく決めた言葉が、最後まで続かず情けない叫び声になったのはしょうがないだろう。
光が差していた筈の大通りに影が出来、上を見上げれば鬼が居て、
腹部に衝撃を受けたと思ったら、背中に痛みが走ったのだから。
全てが一瞬の出来事で、瞬時に理解するのは不可能だったが、一言に集約することは出来た。
人がぶっ飛んできた。
ありえねェェェェ!!
心の中で盛大に叫んだ。
色々と喰らった衝撃と、腹部に乗っている重い物の所為で声が出そうになかったからだ。
「げほっ、っ…ごほっ…」
「大丈夫ですか?」
「ん、ああ」
むせ込んで顔を上げると、両目を包帯で巻いている顔が現れた。
不気味であるはずなのにその姿はとても美しい。
女、か?
顔はもちろん声や身体も性別の判断が付かずに眺めていると鼻をつままれる。
睨むと手は離れ、耳元に手が下ろされ、頬が冷たい手で包まれる。
目の下を親指でなぞられ、輪郭に沿って指が撫でていく。
顎まで行くと、親指がやけに優しく唇を過ぎって行った。
…え?
先の行為を想像してしまってパニクる。
これってキスをする前にやるような仕草じゃねェか?え、嘘、だろ?
考えた言葉の一つも口に出せないで居ると、顔が目の前に迫っていた。
動くことも出来ず、ぎゅっと瞼をつぶり歯を噛み締めた。
「何を期待しているんですか?」
耳元で囁かれた息混じりの声にビクッと大袈裟に反応してしまう。
その声に笑いが含まれていたことに気付き、すぐに目を開く。
「なっんも期待してねェよ!!」
俺が暴れ出すと即座に一歩下がり、両手を上げて竦めて見せる。
くくくくく、と小さく笑っているのが気に食わねェ。
チッと舌打ちをして、煙草を銜えて火をつけた。
「お前、名前は?」
「…名乗るほどの者でもありません」
名前を教える気はねェ、か。
経験的にこういう奴は脅しても効かない。
眺めていると気付いた。こいつ、この状態で戦ってたのか?
「お前、包帯付けたままでやりあってたのか?」
「ええ」
「…盲目なのか?」
初対面で聞くのは悪いかもしれないが、聞かずには居られなかった。
奴は小さく笑って、顔を横に振った。
「いえ」
「じゃあどうして。あいつに殺されたらどうするつもりだ」
「殺されませんよ」
「お前、かなり押されてたぞ」
「大丈夫です。守る人が出来ましたから」
疑問を唱える間もなく、ガキッと歯切れの悪い音がする。
いつの間にか天人が奴の背中側にいたらしい。
話に気を取られていて気が付かなかった。
だが、驚くべきことはそれだけではなかった。
振り下ろされようとしていた天人の左手が、消えていた。
「人が話してる最中に邪魔すんじゃねェよ、餓鬼が」
「うぐぅあああ!!」
天人は突如消えた左手首を右手で握り締めたが、血は止まらない。
何だ、これ…。
頭上から降り注ぐ血を身体に浴びても、圧倒的な力に言葉が出ない。
「なあ、包帯を取ってくれないか」
「え?…取っていいのか?なら最初からつけるなよ」
「色々と理由があるんだよ」
まあ、お子様には分からないかもしれないな、と笑われたことに少し憤慨する。
二十代だぞ!?ちょっとは、童顔、かもしんねェけど。
「おい、早くしろ」
「…なあ、自分で取った方が早いんじゃないか?」
素朴な疑問を口にすると、相手はさも当然のように答えた。
「巻くのに1時間、取るのに20分掛かるんだ」
「…お前、超絶不器用だな」
「………早く取ってくれ」
笑ってからかってやると、不機嫌な声がぼそりと呟かれた。
気付けば敬語も恐れも消えていて、あるのは戦友のような感覚。
背を向けた相手の頭部に手を伸ばす。白い包帯には少し埃が掛かっている。
埃は戦っていた時に付いた物だろうが、こんなにきつく巻いていていいのだろうか。
不器用の問題なのか?呪いでも掛けてるんじゃないだろうな。
頭に茶髪の18歳サド王子の顔が浮かんだが、慌てて消した。
っつか、あいつどこ行ったんだ?
辺りを見渡すが見つからない。後援を呼びに行ったのならいいのだが、あいつの場合見捨てるのもありえそうだ。
「どうかしたか?」
「あ、いや、ここに一緒に来た奴がいなくなったんだ」
「…一緒に?」
「ああ、沖田総悟って奴なんだが」
「……………」
黙りこくったのを不審に思い尋ねたが、何でもない、と交わされてしまった。
血を止めるのではないかとかなりきつく巻かれた包帯に手を伸ばす。
後頭部に付けられた止め具を一つ、二つ、と外して三つ目を掴むと、奴に腕で押された。
いや、押されたなんて生易しいモンじゃなかった。
突き飛ばされた身体は地面を擦り、背中が痛んだ。
取ってくれって言っといてなんだよ、あいつッ!
恩知らずな奴だ、と勢いをつけて起き上がった瞳に映った物はすぐには信じられなかった。
「かはっ……」
天人の右手に首を掴まれたあいつが、家屋の壁に叩きつけられていた。
あの時、奴が俺を押さなければ、天人の右手は奴と俺を捕らえていただろう。
俺を、庇った?
「お前に何が分かるってんだよ。お前なんて一捻りなんだよ」
「うっ……っ…」
ぎりぎりと力が加わり、苦しげな呻き声が漏れる。
左手首を押さえていた為か血塗れになった右手から、奴の身体に血が付いていく。
黄緑から赤色に染まった着物。
白い肌に伝う赤い雫。
真っ白な髪に映える、真っ赤な血。
人外の物かと見間違うような光景で、俺の頭の中に浮かんだのは、綺麗、だけだった。
奴はこうあるべきだったのではないか。この姿こそが奴なのではないか。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
彼は、血に塗れてこそ、彼なのだ――。
神を崇めるように土方は彼を見つめていた。
ぶつけた衝撃で後ろの止め具が取れたのか、包帯がぱらりと解ける。
ずれていく包帯の隙間から、物貰いなのか、右目に眼帯を付けているのが見えた。
彼は下を向いて溜め息を吐いた。
「……ったく、俺が恥を忍んで頼んだのを無駄にするわ。
お気に入りの着物を駄目にするわ、人様に迷惑掛けるわ」
首を捕まれているのに動じずに普通に喋る姿は現実味を感じさせない。
彼の右手に握られた刀が角度を変え、光った、ように見えた。
「お前、そんなに」
ぱさり、と音を立てて包帯が地面に落ちた。
「殺されたいか?」
その時、あいつの目が赤く輝いたのを、俺は確かに見た。
ぞくり。自分に向けられた訳ではないのに、殺気に背筋が凍る。
鬼の天人だと?何処が鬼だ。目の前にいるこいつの方が鬼と呼ぶに相応しいじゃないか。
身を竦めたのは俺だけではなかったようで、天人も手の力を弱めてしまったらしい。
その一瞬を付いて彼は天人の手に刀を突き刺した。
痛みに悶絶する天人を蹴り飛ばし上に乗っかると、彼は右手に持っていた刀を刃を下にして両手に持ち替えた。
黒い瞳には殺意だけが映っていた。
高く掲げた刀が、眩しく輝いた。
「 ッ!!」
誰かの叫び声が聞こえた。
ヤメロと抑止したのか、彼の名前を呼んだのか、殺せと命令したのかは分からなかった。
「ぐっ、ぐわぁあ」
天人の肩口から赤い噴水が勢いよく上がる。
蹲(うずくま)った天人を見覚えのある奴らが縄で縛っていく。
「何でィ、死んでなかったんですかィ」
「総悟!!」
見覚えのある茶髪にこんな時でも変わらない減らず口。
珍しくいい方に俺の予感が外れたらしい。
真選組の隊士達が暴れる天人を押さえつけ、連れて行く。
この分なら俺がやることはないだろう。
奴の方を向いて、見たくなかった銀髪があって思わず眉を顰めた。
万事屋の野郎じゃねェか。何でここにいるんだよ。
「おい、おま「土方さん」
問い質そうとしてピンと伸びた右腕に止められる。
いぶかしんで見ると、総悟は奴と万事屋の野郎を見つめていた。
声を出そうと思って、出したのではなかった。気付いたら出ていた。
彼は立ち尽くしていたが、手から刀が滑り落ちる音で目を見開いた。
何か言おうと口を開いたらしいが、何も言わずに口を閉じた。
銀時は彼の元へゆっくりと近寄った。
黒い瞳が俺を捉える。
闇のように深く、暗く、悲しい黒色が。
「久し振りだな、銀」
白い髪が風に揺れ、ぱさりと音を立てる。
口の端を上げてふわりと笑った人形のように美しい笑顔が、昔とダブる。
『帰ろうか、銀』
あの時の彼の笑顔は、とても綺麗だった。
「……あ、
か!」
「忘れてたのか?」
苦笑交じりの声に、ああ、こいつは変わっていない、と安心する。
変わり行くこの世の中で変わらない物があるのはいいものだ。
銀時は目を細め、口の孤を上げた。
変わらない物などないことを、銀時はまだ知らない。
初夏の新緑の香りが風に乗り、暗い空から水が落ち、青空から眩しい光が顔を覗かせる。
焼けた肌に木枯らしが吹きつけたかと思えば、雨は冷たく凍り降り積もり、徐々に温もりが満ちて消えて行く。
木々が芽吹き始め、淡い桃色の花弁が舞う。
これは、十二ヶ月、四つの季節。たった一年の話。
これは、一人の男の話。
これは、男とその周りの者達との話。
これは、まるで 『 夢 の よ う な 』 話。
起きた時に絶望が待っていても、あなたは夢を見ますか?
序章の癖に長いとか言わないで…。自分ですらここまで長くなるとは思ってなかったんです…。
ちなみに、この時点で五月です。…追い付くかなあ(遠い目)。
とりあえず主人公は、最初はいい人、憧れの人で。
次の話読んだら、誰だよお前、って感じになるかと。