3Zで気ままに。 沖→土→桂→銀で銀土。 個々は微妙に繋がっています。 |
3月 | ガラス細工 | 沖→土 |
5月 | まどろむ仔猫 | 土→桂 |
6月 | ずるいひと | 土→桂→銀で銀→土 |
1学期終業式 | とけかかったアイス | 沖→土で銀→土気味 |
夏休み(大会前) | 空のペットボトル | 沖→土で銀→土 |
夏休み(大会後) | 満月夜 | 銀土 |
秋頃 | ガラスの割れゆく音 | 銀土が銀←土に |
12月初旬 | 手を繋いで、指を絡めて | 銀←土 |
12月中旬 | 優しい嘘 | 沖→土で銀←土 |
空のペットボトル 優しい嘘 満月夜 缶入りドロップス porcupine dilemma (ヤマアラシのジレンマ) |
こころのかさぶた チョコレートを一粒 まどろむ仔猫 うさぎのりんご |
空のペットボトル -------------------------------------------------- |
掛け声、足が床をするキュッ、キュッという音、荒く呼吸を繰り返す音、竹刀が防具を捉えた音、 外から聞こえてくる野球部かサッカー部の声、耳に纏わりつくセミの鳴き声。 すべてが一緒くたに混ざり、剣道場に混沌とした空気を作っていた。 飛び散る汗が床に模様を作り、暑い日差しがそれをキラキラと輝かせている。 「それまでっ!!」 篭もった空気を打破するような尖った声が響き、至る所で礼を言い合う声が溢れかえった。 面を取った汗だらけの顔には疲労が色濃く浮き出ていたが、充実感も垣間見えた。 各自、タオルで顔を拭きながらアドバイス、愚痴を交わしている。(愚痴が大多数) 今日の副部長はいつになく荒れている。そのせいでいつもより練習がきつくなっている(まあ、いつもきついのだが)、と。 「そこ、何喋ってんだ!無駄口叩ける元気があるなら休憩は五分でいいな!!」 えぇ〜、と情けなく上がった声を睨みで抑えると、土方は踵を返し、剣道場から外に出た。 空は青く、千切れた雲が所々に散らばり、太陽が焼け付くような光を放っている。 首にタオルを掛けビニール袋を手にし、土方は慣れた足で体育館裏へと向かう。 体育館の一番奥、左側の扉の前。 鍵が壊れているらしく開かないから、中で練習している奴らに嫌味を言われる事もない。 お気に入りの場所だ。 石段にドスッと座ると、土方はビニール袋から朝コンビニで買った2Lペットボトルを取り出した。 本当は凍らせてるのが一番だが、昨日は冷凍庫に入れるのを忘れてしまった。 手に重みが伝わるが、500mlなんてのは気休めにしかならないことを知っているからしょうがないだろう。 青色のラベルに少し濁った液体。 白いキャップをあけて口に当てれば、冷たい清涼飲料水が喉を伝って身体に染み込む。 喉仏を大きく動かしながら一気に流し込み、ぷは、と息を吐いた。 ぼんやりと木々を見つめる。風がないためか葉の一枚も動かない。 ここはちょうど木陰になっているおかげで割りと涼しいが、それでもじんわりと汗が滲み出てくる。 剣道場の暑さともなると、防具を付けるため、サウナ並みだ。 本当は休憩を入れるつもりはなかった。 だが、基本の構えの崩れ、へろへろとした太刀筋は見ていられるものではなかった。 五分とは言ったが十五分は休ませるつもりだった。分かっていながら応酬をする。 十五分も休めばある程度疲れは取れるだろう。 だが、暑さによってだらけているのはどうすればいいものか。夏の大会まで近いのに。 部長の近藤は用がある、と言って欠席だし(きっと志村の姉を追い回しているのだろう)、 顧問である銀八は適当にやっといてー、とクーラーの効いた職員室から出ようとはしない。 (ただし、春に転勤して来て顧問についてから、練習に出た事は一度もない) 素振りばかりではすぐに集中力が切れると、二人一組で軽い試合、打ち合いを入れているが、意味がなくなってきている。 どーしたもんか。土方は頭を抱え、足元に置いたペットボトルを取ろうとして手が空を掴んだ。 「え?」 バッと隣を見てみれば、いつの間に来たのか、総悟が座って我が物顔でペットボトルを飲んでいた。 考え事をすると周りが見えなくなる、ってのは本当だな。 幼馴染であっても気付かないうちに隣に人が居るのは結構驚くものだ。 あんぐりと口を空けたまま見ていると、総悟はペットボトルから口を離し、眉間に皺を寄せた。 「何マヌケな顔してんでィ。とうとう暑さにやられておかしくなったんですかィ?」 「…んなわけねェだろ!!それに、そのペットボトル俺のだし!」 「ありゃ、そうだったんですかィ。てっきり捨ててあんのかと思いやした。 いや、ピクリとも動かねェから、やっと死んでくれたのかと嬉しさに浸りながら飲んでいたのに…」 「てっめぇはなぁ!!」 盛大にしたうちをして、総悟の手からペットボトルを奪い取る。 軽い、と思って見ると、残りの量が1/2になっている。 イライラに任せて再びペットボトルに口をつけた。 「あ、何だ?やらねェぞ?」 視線に気付いて問いかければ、総悟は考えた顔を見せ、にたりと笑った。 「間接きっすぅ〜」 ゴホッ、と口中に収められていた水が地面に散らばり、吸い込まれていく。 総悟が嫌味を言ってたらしいが、土方の耳には届いていなかった。 たった二文字に何でこんなに動揺してんだよッ。 自分に悪態を吐いても、昨日の映像が思い浮かんでくる。 近藤さんは職員室に向かう途中で見つけた女の尻を追いかけて行き、一人で形ばかりの顧問に鍵を返しに行った時だった。 『いつも頑張ってる土方君にご褒美ね』 甘いモンならいらねェぞ、と思った矢先に与えられたのは、いわゆる、キス、というもので。 触れるだけのそれが恥ずかしくて、銀八にすればご褒美で片付けられるこれしきのことで赤くなってる自分も恥ずかしくて。 さようなら、と言うのも忘れて走り去った。何であんなことした、何で――。 土方の指は、本人には自覚がないのだろうが、唇を押さえていた。 思考に耽っている土方は、沖田の刺すような視線には気付かなかった。 「土方さん!ここにいたんですか」 「あ…ああ、山崎か」 「休憩時間大分オーバーしてるんですけど、いいんですか?五分って言ってませんでした?」 校舎の時計を見れば、休憩を取り始めて十三分が過ぎていた。 わざわざ言うために探しに来たのか。 「俺ァ、十五分って言ったぞ。聞き間違えたんじゃないのか?」 「え?でも確かに五分って…」 「っ、うるせぇなァ。俺が十五分っつったら十五分なんだ!!」 「はっ、はいぃっ」 一息吐いて、自分らしくないと自己嫌悪に陥る。 他人に比べれば堪忍袋の緒が切れるのは早いとは思うが、これはあんまりだ。 あんなことで掻き乱されて、こんなしょうもないことで怒鳴って。 土方は頭に手を当て、ハア、と溜め息を吐いた。 「ストレスが溜まるとそのうちハゲますゼ?」 「余計なお世話だ!!」 「…ストレス解消にいい案を思いついたんですがねィ」 でも土方さんは人の助言に対して怒るからなぁー、ともったいぶった言い方に何かがブチ、ブチと切れる音がした。 口を開くと、目が合った。 今日の空のような青い瞳は、ぞっとするほど悲しみに満ちていた。ひゅぅっと喉が鳴った。 これは、もしかして、心配している、のだろうか。 そう思うと心が冷静さを取り戻した。 「いい案ってのは何だ」 「結局聞くんですかィ……土方さんが数人と打ち合えばいいんでさァ。 一対一なら結果は見えてますが多数ならちょっとは手応えあるでしょう? それに部員も副部長と手合わせできるとあれば集中力も増しまさァ。どうですかィ?一石二鳥の案でしょう?」 確かにいい案だ。心の中がもやもやしている(苛立ち、とでも言えばいいのか)を忘れたいとは思っていた。 だが、数人を相手にするとその間他の部員が暇になる。 「後の部員は俺と山崎が同じように相手をしまさァ」 「…なら、そうするか」 「え゛え゛え゛、何で俺!?嫌っすよ、そんな疲れそうなモン!」 「山崎」 手にしていたペットボトルを山崎の頭上で逆さにする。 重力に従い、中身はところどころ跳ねている黒髪へと落ちていく。 まっすぐな水柱がキレイだと思った。 「どぅわっ!何すんですか!」 「山崎ィ。俺がやるっつったらやるんだよ」 これが俺だ。土方は心の中で安堵の息を吐いた。 すごく分かりにくいのだが、自棄になっているか否か、の差らしい。感情が剥き出しになるのは嫌いだ。 瞳孔が開いた姿はかなり恐ろしいもので、その差に気付く者はほとんどいないが。 「おっと、時間が過ぎてるな。今から行ったら三分位遅れちまうな」 「じゃあ、人数三人にしたらどうですかィ?遅れた分数=人数で」 「あ、あの、俺、これから頭洗わなきゃ…」 「「山崎ィ、遅れんなよ?」」 ヒィィィィ、と叫び声が上がり、山崎は水道を目指して土煙を上げて走って行った。 普段からそれくらい気合入れろっつうの。 理不尽なことを言いながら、土方は鼻で笑った。 「総悟、行くぞ」 「へーい」 このむしゃくしゃした気持ちも、思いっきり身体動かして汗掻けば、消えるだろう。 色んなことが混じって答えを出す事も出来ないぐちゃぐちゃの頭の中も。 銀髪を思い出すたびに胸に感じる違和感も、消えるはずだ。 空のペットボトルが、地面に落ちた。 夏休み。銀八土の予兆と沖田の思いと山崎の受難。 |
優しい嘘 -------------------------------------------------- HRの時間に飛び込んで来たニュースはクラスをざわめかせた。 真か嘘かも分からなかったが、本人が職員室に呼び出されて、担任がいない状況が信憑性を増させていた。 土方が大学の面接に落ちたらしい。 あちこちで人が固まり憶測や予測を並び立てる。 品行方正、成績もいい、剣道部副部長をしっかり務めた彼が。落ちる可能性など誰も考えなかった大学に、何故? 騒音の渦となったクラスで、沖田だけはアイマスクを付けたままいつものように椅子に持たれかかっていた。 「…こんなにうるさくちゃ寝てられねーじゃねェか」 文句を口に出し、沖田は眉を顰めてアイマスクをずり上げて瞳を覗かせた。 様々な言葉が耳に入り込んで、脳がパンクしそうだ。気持ち悪い。 上履きを引き摺ってだるそうに教室を出た。誰も沖田のことなど見てはいなかった。 行く場所など決まっている。彼が職員室から教室に戻るまでに行く場所だ。 簡単に想像出来る。他に彼が行く場所がない、とも言えるが。 階段をわざと音を立てながら登る。彼はきっと、自分が来ることを分かっているだろうから。 何度も人が通ったからか階段の真ん中だけ、埃が積もっていない。 何度も登って何度も会ったのだろう。悔しさが込み上げて来て沖田は唇を噛んだ。 重たい鉄のドアを押すと、びゅうと風が吹き付けた。 道理でいつもより重かった筈だ、と考えて手を離すと喧しい音を立ててドアが閉まる。 煽られた髪を手で払うと、灰色の中に、彼がいた。 「土方さん」 曇り空なのに透き通った空だと思いながら、コンクリートの上を歩いて行く。 彼はゆっくりと振り返った。泣いていたのかと思ったが、目尻が赤らんでいたり、涙の跡が残っているわけではなく、普段通りの彼の顔だった。 「はは、面接落ちちまった」 乾いた笑い声を上げる彼をじとりと見て舌打ちをする。 機嫌が悪いことに気付いたのだろう、彼は口を噤んで後ろのフェンスにもたれ掛かった。 「面接すっぽかしたらしいじゃないですかィ」 「…何のことだ?俺は落ちたんだ」 「聞きやした。内申も小論文も申し分なくて、面接だって確認程度だったのに来なかった、しかも連絡もしないでって」 「………」 「どうしてですかィ」 問い詰めればあからさまに顔を逸らされ、自分の中で何かがぴし、と音を立てた。 「…この道でいいのか、って思ったんだ。このまま偏差値に見合う大学に行って、それでいいのか、って。 大学卒業してまた同じように会社決めて、それで人生終わらせちまうのはもったいないだろ?」 「なら、何で連絡しなかったんですかィ」 「忘れてた」 あっけらかんと答えられた返事は彼にはまったく似合わない言葉で。 学級委員として、副部長として、スケジュールを手帳だけでなく頭に叩き込んでいる彼が忘れることなんてありえない。 何で嘘を吐く。そんなにアイツのせいにはしたくないのか。 それとも、アイツとの関係を知られたくない?それこそ、今更なのに。 「俺じゃ駄目なんですかィ」 「………総、悟?」 「俺はすべて知ってますゼ。銀八先生に聞いたら全部話してくれやした」 喉から出た声は自らの心を映しているかのように暗く、低かった。 止めようと思えば思うほど自分の心を蝕んでいく黒い染み。 最初は微かな違和感。それは確実に大きく、深く、染み込んで、憎悪を煮え滾らせる。 「あの日、面接の1時間前に呼んだ。理由は『土方がいないとつまんなかったから』ですゼ?」 抑え続けて来たたくさんの思いが一気に溢れて、身体が熱くなっていくのを感じる。 黒く染まった心は、白色に戻ることはない。 「アイツはアンタが悲しむ様を苦しむ様を見て喜んでるんでさ。何で、何であんなヤツと付き合ってるんですかィ!!」 どうして俺じゃない?どうしてアイツなんだ? 俺の方がアンタを大切にしてやれるのに。俺の方が愛することが出来るのに。 比較ばかりの幼稚な言葉を口に出さずに飲み込むと胃がもたれそうになる。 土方さんのことが好きでさァ。 その一言が喉まで出掛かって、出せなくて、悔しくて床を見つめた。 視界がぼやけ、コンクリートの色が若干濃くなったのが辛うじて見えた。 勝手に言いたいこと言って泣き出すなんてバカみてェだ。嗚咽だけは漏らすまいと唇を噛んだ。 「総悟、ごめんな」 まるで泣いているかのような声にも顔を上げられず、臆病な自分に嫌気が差す。 結局、俺は自分の思いを持つのに精一杯で、彼の思いまで考えることなど出来ないのだ。 傍にいたい、大切にしたい、愛したい。どれも自分のエゴ。 「アイツは俺じゃなくてもいいのかもしれないけど、俺はアイツじゃなきゃ駄目なんだ。 …違うな。俺が勝手にアイツの傍にいたいだけだ。捨てられてる子犬は見捨てておけない、みたいな」 「そんなにほいほい犬を拾ってくるんですかィ」 屁理屈を述べれば、苦笑した笑い声の吐息が微かに聞こえた。 自分は昔からガキで、いつまでもガキなのだ。この人と同じ位置に立てる時など、きっと、永劫来ない。 「…ごめん」 「何言ってんですかィ。あまりに報われない恋してるからからかってやっただけなのに。 辛いのが好きなら勝手にそうしてりゃいい。俺は止めませんゼ」 「総悟」 「土方さんはそういう趣味の持ち主だって周りに言いふらしておきやすから」 「総悟」 自分じゃないような声が喉から勝手に出て、自分を呼ぶ声がやっと届いた時に訪れた沈黙は、嫌に居心地が悪かった。 頭が熱くなって、ぼんやりとして、自分がここに存在しているのかもあやふやな状態で、それでも、彼が辛そうな顔をしていることは分かった。 辛そうじゃなくて辛いということも分かる程には頭は動いている。 思いに反して口からは冷たく不機嫌な声が漏れた。 「……何ですかィ」 「総悟、ごめんな」 カラだったらよかったのに。 自分がカラなら怒鳴り散らして去ってしまうのに。彼がカラならそうか、とただ一言で終わるのに。 何故俺達は人の感情に妙に聡いのだろう。自分が傷付くと分かっていながら。 「…本当に、変な人でさァ」 傷付けたくないから自分が傷付くなんてバカのやることだ。 結局はどちらも傷付いてしまうのだから。 けれど、自分はそれが彼の優しさだと知っているから。唯一の愛情表現だと分かっているから。 「アンタのこと、好きでしたゼ」 だから、俺も自分の出来る唯一の方法で伝える。 言葉を告げれば、彼は瞳の中に傷付いたとでもいうような悲しみを覗かせた。 自分が好きだと言ったからか、過去形だからか分からなかったが、その姿を見て俺は微笑んだ。 この人を掻き乱すのが自分は好きだった。 瞳が自分を強く射抜くのが好きだった。 怒って、叫んで、結局は許すこの人が好きだった。 そう、これは全部自分のエゴだった。 彼が望んでいたのはきっと、いや確実に違うものだった。 「ありがとう」 頭に乗せられた程好い重みと共に降って来た温かな言葉に慌てて顔を上げたが、見えたのはドアが閉まる瞬間だけで。 気付いていないと思っていたが、もしかしたら彼は気付いていたのかもしれない。 自分が気付くより、もっと先に。今はもう、知る術を持たないけれど。 「……あーあ、夕焼けが目に沁みるなァ」 見上げた夕焼け空があまりにキレイで涙が出た。 「手を繋いで、指を絡めて」後。沖→土→銀。いくつも重なり合う嘘。 |
うたかたのまどろみ -------------------------------------------------- |
ガラス細工 -------------------------------------------------- 場違いではないか、と思う。 別に男がいてもいい場所ではある。だが、それはある特定の条件を満たした場合だけだ。カップル、という。 山崎は今の状況を改めて確認し、溜め息を吐いた。 四月、始まりの日。長ったらしい校長の話、主な内容は三年生の俺達にかけるお決まりの応援の言葉。 あっという間に一年は過ぎると言われ俄かには信じがたかったけれど、そういえば二年間はあっという間に過ぎていった。 なんて、感慨に耽っているのは自分だけだろう。周りの興味はクラスの担任、それのみなのだから。 二年次にクラス替えはあるものの、三年はない。 なじみの近藤さん、土方さん、沖田さんと再び同じクラスであることが嬉しかった。 だが、何故か担任は変わる。しかも俺のクラス、Z組だけは。 前の担任は胃潰瘍で入院、そのまま休養。主任や他クラスの担任が代わる代わる来ていた。 まあ、確かに二年Z組はすごかった。 新八君という常識人と愚痴を零しあうことが出来るから何とかいられるわけで、几帳面な人だったら三日でギブアップだろう。 で、クラスの期待を一身に受けた担任はどんな人だったかというと…。とてもじゃないけど教師には見えなかった。 天然パーマの銀髪(地毛と言ってたけど染めてるようにしか見えない)、担当は国語と言っておきながら白衣を着ていて、 伊達のような眼鏡をし、その下にある目は死んだ魚のように曇っていた。 自己紹介は「坂田銀八。担当は国語。分かんねェこと色々あると思っから、そん時ァよろしくなー」である。 校長や周りの教師の顔に青筋が立ったが、俺はこの教師が悪くはないと思った。 最後の年なのだから、どうせならこのくらい奇抜な方が面白い。クラス自体既に奇抜だけど。 っと、話がずれた。ここまで自分の世界に入っているのはいる場所が問題なのだ。 青春を謳歌すべき高校三年生、男四人組が、梅下通りって、どうよ、これ。 「土方さん、土方さん、この携帯ストラップどうですかィ?」 「藁で出来てるのか…って藁人形じゃねェか!!」 「じゃあ、この灰皿は」 「『呪』って書いてあんじゃねェか!ってか俺はまだ十七歳だ!!」 「まったまたー。隠れて吸ってんじゃないんですかィ?スパスパと」 「何ィ、本当かァァ!?トシィ、未成年の喫煙は駄目だぞゥ」 「だから吸ってねェつってんだろ!」 あの人たち、周りの人がすごい勢いで避けてるの気付いてるのかな? 時間、始業式後の昼前。場所、女子高生がたむろする原宿、梅下通り。 周りの視線がチクチクと痛い。明らかに場違いなのは分かっている。でも帰ることは出来ない。 近藤さんが、最後の学年だから思い出として四人でお揃いの物を買おう、と言ったからだ。 いやいや、高校生の男子だからね?みんなでお揃いvってありえないからね?とはもちろん言えず。 前方には、名物のクレープ(バナナチョコ)を頬張りながら雑貨を漁る沖田さん。 連れ回されて睨んでいる土方さん。楽しそうに二人と話す近藤さん。 そして、付いていけない、俺。 「ハアアアア」 「山崎。どうした、疲れてんのか?寝不足はいけないぞ、しっかり寝ろよー」 「はあ…」 寝不足じゃないんですがね、と言おうとして止まった。 近藤さんの手には袋が握られていて、中にはピンク色のグッズがぎちぎちに詰め込まれている。 「ラブ運あーっぷv」「これでアナタも両思いに!!」「ステキでムテキな恋をしよう」なんていうキャッチコピーが見える。 本人は上機嫌で鼻歌まで歌いだしている。一円分位は報われればいいけど。 「近藤さん、山崎ィ」 「はいよっ、何ですか?」 声の元へ行くと沖田さんは熱心そうに屋台を覗き込んでいた。 机の上に立てられている札には「お好きな文字彫ります(アルファベットと数字のみ) 1000円」と書かれている。 横の板にはガラスで作られているらしく透明の、細長い長方形のネックレスが飾られている。 どうやらこれに文字を入れてくれるらしい。 「近藤さん、これにしやせんか?」 「んー、ちょっと高いが…。まあ思いでだしな、これにすっか。いいか、トシ?」 「ああ、俺は何でもいい」 俺の意見は完璧無視ですか。 まあ、ネックレスは色とりどりでキレイだからいいんだけど。 「俺、何色にすっかな〜」 「土方さんは灰色ですねィ」 「は?」 「そんなイメージでさァ」 「?…じゃあ、お前は水色な」 「お前らァ、赤と黄、どっちにしたらいいと思うゥ?」 「どっちもいいじゃねーか。間取ってオレンジとか」 「そんな優柔不断なのは駄目だ!お妙さんに嫌われる。うーん…よし、黄色だ!!」 そこまで気合を入れて考えるほどのものなのだろうか? とりあえず、土方さんは灰色、沖田さんは水色、近藤さんは黄色にしたらしい。 イメージどおり、かな。てっきり土方さんは沖田さんには黒、と言うかとも思ったけど。てか。 「俺の色は決めてくれないんスか!?」 「あ、悪ィ、忘れてた」 「ひど…」 「あー、じゃあ、透明はどうだ。ほら、お前、空気みてェだろ?」 近藤さん、それ、褒めてます? 「いてもいなくても気付かないってことですかィ?」 「総悟、そんな考え方しない!ほら、空気みたいに必要だってことだよ」 俺ってそんなに存在感薄いかなぁ…。 アハハと乾いた笑いを上げていると目の前に黄緑色のプレートが下りてきた。 上を見上げると顔を前に向けたまま、土方さんがネックレスを持っていた。 「新しいミントンのラケット、黄緑色だったろ」 驚いた。部活の『息抜き』にバトミントンをすることはあるが、いつも土方さんに怒られてばかりで、 まさか彼がラケットを変えたことや、その色を見ているとは思わなかった。 自分が知っているより、彼は、優しく、繊細なのかもしれない。 「は、はいっ。黄緑にしますっ」 「よーし、じゃあ、黄色、水色、灰色、黄緑、だな。文字はどうする?」 「Die.H。もしくはエスアイエヌイーH」 「Hは俺か!?『死ね土方』か!?」 「分かんねェですゼ。橋本さん、長谷川さん、原田さん、林さん、福田さんかもしれないですゼ!」 「ッ、お前は切腹だァァ!!」 「今時切腹なんて時代遅れにも程がありまさァ」 土方さんと沖田さんはギャーギャーと騒いでいる。 日常茶飯事だから慣れてしまったが、話が一向に進まないのは困る。 「俺達で決めますか」 「そーだな」 「シンプルに『3Z』でいいですか」 「そーだな」 四人分のお金を払い店員に伝えると、すぐにキィィィと掠れたような高音が響いた。 授業中など静かな時ならうるさいと感じただろうか、今の喧騒の中ではきれいな音だと思った。 ガラス越しに見ると彫られていくのが見える。 金属のニードルがガラスに触れると、透明なガラスが一瞬で不透明になり、削りかすが表面を覆っていく。 四つを彫り終え表面を指でなぞると3Z、というくっきりした文字が現れた。 慣れた手付きでチェーンを通すと、店員は四つのネックレスを手渡した。 「お、なかなかいい出来じゃねェかィ」 「あ、沖田さん!」 手からひったくられ、沖田さんはネックレスをつけた。 首に付けられたガラスのプレートが光を反射して、まるで川の水面のように光った。 その顔が小さな子供が欲しかったオモチャを手に入れて喜んでいるようで、微笑ましかった。 隣を見ると近藤さんが付けられずに四苦八苦していた。 無骨な手では難しいのだろう、諦めて鞄の紐につけていた。 「土方さん、つけてあげまさァ」 「それくらい自分で出来るっつの…」 ぶちぶちと文句を言う土方をなだめ、沖田は頭上から手を下げ、首にネックレスを回した。 金具を留めると沖田は土方の髪に寂しげに触れた。 「何で切っちゃったんですかィ」 今日の始業式で、土方さんは後頭部でひとくくりにしていた長髪をバッサリと切って現れた。 見慣れたものがなくなるというのは酷く気持ちの悪いもので。爪を切った直後みたいな感じだ。 沖田さんは硬直していた。彼はあの髪型が気に入っていたから当然だろう。 歩くたびに揺れる黒髪を見て、いつも微笑んでいた。 受験だと面接とかあんだろ、と土方さんは軽く交わし振り返った。 灰色のプレートが、銀色に輝いた。 その時俺はいいようもない不安を覚えた。あまりに漠然としたもので、 これから立ちはだかる将来についてのことが三年になって急に身近になって現れたものだとその時の俺は思った。 沖田さんが土方さんを見る目が少し違うのも、兄弟のように仲がいいからだろうと思っていた。 「って、あ、お金!俺払っといたんですけど、って、ちょっとぉ!!」 「青春の思い出にツケといてくれィ。今お金ないんでさァ」 「あー、来週払う、来週、な」 「…そもそも、こんなのに金払うなんて馬鹿げてんだ」 「近藤さん、土方さん、沖田さーん!!」 すでに遠くに行ってしまっている三人を慌てて追いかける。 え、なに?三人分俺が出すの?何で? 異議を唱える暇も与えず去っていった三人を見て、まあいいか、と諦める。 あと一年しか一緒にいられないのだから。 って、俺、一年間そうやって過ごすの!?大学入ったら高校の友達だし、って奢りそうだし。 それはイヤダッ!! やっぱり文句を言おうと制止の声を掛けて走り出した。 あの後、近藤さんのネックレスは鞄に付けられていて、 沖田さんはなくしたといい、俺はバッグに放り込んだままで、 土方さんがあのネックレスをしている姿はあれ以来見ていない。 あの銀色の輝きが、目にこびりついて離れない。 始業式の日。仲のいい四人組。 |
カレンダー -------------------------------------------------- |
とけかかったアイス -------------------------------------------------- 口に含むと直接的な甘さが舌に広がった。 と同時にこめかみがズキズキと痛む。 ペロリと着色料がふんだんに使われているであろうアイスを舐め上げた。身体に悪そうだ。 コンビニで買った六十円のアイスをコンビニの前で座り込んで齧りながら、沖田はまどろんでいた。 沖田の食べているアイスは「ギリギリ君」というふざけた名前なのだが、財布にギリギリな小学生に人気らしく、見かけないコンビニはない。 日差しは強く、外に出れば思わず目を細めてしまう。 炎天下の下など居たくないから、しっかりと影に避難していたが、気温は変わらないものらしい。 アイスはすぐに固体から液体へと姿を変える。長方体の表面を流れる雨粒を舐め取った。 最初こそ甘いと思ったものの、今では冷たさしか感じない。 舌が麻痺してるのか。冷たさも感じなくなってきた。 ペロペロと舐めるだけの動作では溶けるアイスの早さには追いつかず、アイスは棒を伝い沖田の手を濡らした。 ぽたぽたとコンクリートの地面に水色の雨が降る。 変だな。空が溶けて地面に落ちてる。 ぼーっと放心していると、呆れたような声が聞こえた。 「お前は一体いくつだ。アイス一つちゃんと食べれないのか?」 「……土方、さん」 紡いだ名前は言葉になったのだろうか。 聞こえても聞こえていなくても続きはきっと同じだろうから、どうでもいいと言えばどうでもいいのだが。 慣れない考えごとなどをしてしまったせいで、頭がぼんやりして熱い。 「おい、大丈夫か?暑さにやられたんじゃねェだろうな?」 「…違いまさァ。ちょっと考え事をしてただけでさ」 「お前が考え事ォ!?っはは、そりゃ傑作だ」 お腹を抱えながら笑い転げる姿が癪に障った。 俺が考え事しちゃいけないんですかィ。 ぶすっと睨んでいると土方さんは浮かんできた涙を拭い、それで、と促した。 「何を考えてたんだ?」 「………空のことでさァ」 「そら?」 「このアイスが溶けてんの見て空が溶けてるって思って、じゃあこのアイスは空が固まったもので、 なら俺の頭の上にあるこの空はにせものなんじゃないかと思ったけど、そんなのありえないに決まってる、 じゃこの手の中の空は何だ、と考えて…よく分からなくなりやした」 自分で言ってても意味が分からない。 もとより考える、という行為が苦手なのだ。すぐに頭のメモリーが足りなくなって強制終了だ。 だが、土方を見ると口に指を当て考え込んでいた。 くだらないことを話してしまったと言おうとして遮られた。 「俺達は小さい頃に頭の上にあるものが空だって教わって、疑うこともなく信じて来た。 本当にそれが空かなんて誰にもわかりゃしねェのに。アイスが本当は空かもしれねェしな。 けど、そう言ってたらどれが空だか誰も分からなくなって、世界が崩れちまう。 だから頭の上にあるのが空、なんじゃねェか?」 あー、確かにこれは考えれば考えるほど分からなくなるな。と呟く姿を見て、 沖田はアイスを持っている手とは逆の手でシャツを握り締めた。 他愛もない戯言を真剣に一緒に悩んでくれているのに、苦しかった。 この一瞬だけじゃなくて、ずっと俺のこと考えてくれたらいいのに。 落ち着かせるように沖田は地面に向かって深呼吸をして顔を上げた。 「とりあえず、アレが『ソラ』だ」 白くしなやかな指が一本立てられる。 沿って見上げれば、雲一つない青。 「はぁ、そうですねィ」 「分かってんのか?それにしても何でいきなりソラの話なんか…。あ、頭がカラだからか?同じ字使うよな?」 違いまさァ、と言いたかったが、自分でもなぜいきなりソラの話しをしているのか分からなかったので、沖田は口を噤んだ。 たまたま買ったアイスがソーダ味で青かったから、というのでは理由にならない気がした。 もっと奥で、自分はソラについて考えたいと思っていたのだと思う。奥過ぎて見えないけれど。 「ほんとに、何ででしょうねィ…」 「…ったく、お前は言うことなすこといつも突拍子がなくていけねェよ」 大袈裟に溜め息を吐くと、土方は腰を下ろした。 時間が悪いのか、コンビニの軒先の影は二人入るには少し小さかった。 身動きをすると触れる腕が身体を火照らせた。 近いのに、遠い。 こんなに近くにいるのに、思いが届かない。 「そーいや、お前の目の色キレイだよな」 「へ?そうですかィ?」 唐突に切り替わった話題に一瞬目を白黒させたがすぐに返事を返す。 金と茶の間のような髪の色と同じく、日本人離れした目の色は人々の視線を集めてしまい、 あまり好きではないのだが、褒められて悪い気はしない。いや、嬉しかった。 「ああ、ソラの色だ」 世界がクリアになった気がした。 突風が吹いて塵だとかゴミだとかを全部吹き飛ばしたみたいだった。 まるで青空の只中にいるように感じ、目を閉じることも忘れた。 そうだ、俺は時々土方さんからこの目に付いて褒められるのが心底嬉しかったんだ。 「そうか、そうだったんだ」 「総悟?どうかしたか?」 「いや、こっちの話でさ。…それ、何ですかィ?」 「ああこれか」 土方の手元にあるコンビニの袋(後ろのコンビニだ)を指差すと、土方は中からカップを取り出した。 他のアイスと比べると小さめなカップには「破亜限堕津(ハーゲンダッツ) ストロベリー」と書かれている。 「銀八の野郎が買って来いってよ。しかも苺味じゃないと駄目だって注文付けやがって」 身体が冷えていく。アイスのせいではなく、醜い考えによって。 何でアイツのことなんて考えるんだ。 人を馬鹿にしたような笑みばかりを浮かべる顔が、たまらなく憎くなった。 「あ、やべ、溶けちまう。文句言われるからそろそろ行くな」 「……ええ」 お気をつけて、と喉元まで出掛かって飲み込んだ。 自分は純粋な振りをしていなければいけない。親友として隣に居なければいけない。 「部活サボんのも程々にしとけよ。まあ、夏休みに入ったらしごいてやるけどな」 「夏休みって明日からじゃないですかィ。精々頑張ってくだせェ」 「お前の話だッ!!ったく、みっちり練習させてやるからな、覚悟しとけよ!!」 アイスを口に咥えて手をひらひらと振って、走っていく後ろ姿を追いかけたい衝動に駆られたが、立つ力もない自分にウンザリする。 追いかけてどうするつもりだったんだろう。捕まえて、それで? くだらない、と沖田は残っていたアイスを噛み砕いた。キーンとした痛みが頭に走るが気にせずに砕き、食べていく。 無表情で一心不乱にアイスを食べる沖田を人々は遠巻きにしたが、本人は気付いていなかった。 くだらない、悩むなんて。くだらない、答えなんて出ないんだから。 ごくん、と飲み込んで、平べったい木の板をくるりと指で弄ぶと焼印が見えた。 『あたり もう一本プレゼント』 ガキの頃は偽造してはアイスを貰っていたっけ。 昔を思い出そうとして、一纏めにされた黒髪しか現れず、沖田は首を振った。 「くだらねェ」 パキン、と棒を折った。 空は青く、風は真夏の訪れを告げていた。 高校生活最後の夏。 最高の夏には、なりそうもなかった。 終業式の日。沖→土。 |
満月夜 -------------------------------------------------- ねぇ、土方君。 甘ったるさを感じさせる声で呼び止められ、振り向くのに一瞬躊躇する。 怪訝な目で見れば、そうするのを見透かしていたかのように苦笑され、腹が立つ。 「何ですか」 つまらなさそうに答えた後に訪れた沈黙。 外では日が沈んだにも拘らず、蝉の声がテレビの砂嵐のように絶え間なく鳴り響いている。 職員室のドアをわざとなのかやけにゆっくりとした動作で閉めるのを視界の隅で見る。 「そんなピリピリしないでよ、ちょっと話があるだけだから」 へらりと笑った顔に小さく歯軋りをする。 背の高さ。年齢。余裕。自分とは歴然たる差が存在する。 大人と子供。教師と生徒。越えられない壁。 どうすればこの差を埋められるのか分からない。 「そういえば、大会優勝したんだってね。おめでとう」 「…ありがとうございます」 足音の一歩一歩が耳に響いて頭が痛い。 今すぐ走り去りたいのに、足は縫い付けられたかのように動かない。 近付くなと叫びたいが、舌が乾いてうまく回らない。 「ねぇ」 頭がぐちゃぐちゃになってわけが分からない。言葉も行動も。 一体コイツは何をしたいのか。 「こっち見てよ」 これ以上俺を振り回すな。 「俺を、見てよ」 「っ――!」 吐息が耳に触れ、息を呑む。 バランスが崩れた体はゆるやかに曲線を描きながら倒れていく。 「大丈夫?」 「あ…」 掴まれた右腕。 上げてしまった目に映る、底の見えない黒い瞳。 囁かれた声が何度もリピートされ、熱となって襲ってくる。 「俺、土方君のこと、好きみたい」 オレ、ヒジカタクンノコト、スキミタイ。 「な、に、言って」 「…ごめんね。土方君のこと苦しめたいわけじゃなかったんだけど。気持ち悪かったよね。全部忘れて」 執拗な視線も、触れるだけのキスも、この痛みも。 すべて、忘れろと? 「出来るわけ、ねェだろッ。 それに苦しかったけど、気持ち悪くなんてなかった。 俺は、アンタが、好き、なん、だ」 この気持ちに嘘なんて吐けられない。 縋るようなきつめの抱擁。圧迫感さえも今は嬉しくて。 電球に照らされた銀色の髪が、光の加減か、窓の向こうの黒と比べるからか白く見える。 まるで、満月のような色。 「ありがと」 煙草の匂いの染み付いた白衣。大人である証。教師である証。 俺が近付けない証。でも。 返事の代わりに自分より広い背中に腕を回す。 今まで届かないと諦めていた満月が近くまで降りて来てくれるのならば、拒む理由などどこにあるのだろうか。 「土方、好きだ」 「俺もです」 夜空では、欠けた月が誰にも見られず輝いていた。 夏の大会後。思いは、本当に届いた? |
心の水分 -------------------------------------------------- |
缶入りドロップス -------------------------------------------------- |
porcupine dilemma(ヤマアラシのジレンマ) -------------------------------------------------- |
止め処ない蒼 -------------------------------------------------- |
こころのかさぶた -------------------------------------------------- |
チョコレートを一粒 -------------------------------------------------- |
手を繋いで、指を絡めて -------------------------------------------------- はあ、と手に息を吹きかけた。息は白い煙となり、かと思うとすぐさまその姿を消してしまう。 空を見上げると、昼頃に覆っていたどんよりとした灰色の雲は着え、星を隠すように真っ黒なペンキがぶちまけられていた。 遅い時間のためか、目の前には学生一人見当たらない。 校門から少し離れた所に植えられている木に持たれかかりながら、土方は手を擦り合わせた。 冬の訪れを感じる十二月。気温は近日で急激に下がり学ランだけでは寒いほどだ。 コート忘れるなんて…。 首に巻いた赤いマフラーを擦り上げ、土方は後悔をした。 朝寝坊をしてコートを忘れたために、冷たい風が身体に吹き付け、薄い制服の生地を通り抜けてくる。 昨日寝たの遅かったからな。つかほとんど寝てねェ。 昨夜のことを思い出し、土方の顔がサッと赤く染まった。 『土方君は、可愛いね』 息混じりに耳元で囁かれた言葉がリフレインされ、目を瞑った。 生理的に溢れた涙を舌で拭い取られた記憶も連鎖して甦り、土方は自分を抱きしめるように身体に腕を回した。 思い出すな。思い出すんじゃねェ。腕に爪が食い込んだが、痛みは感じなかった。 「土方さん」 ハッと慌てて腕を離し目を開けると、微妙な顔をした山崎がいた。 怒りと悲しみが混じったような顔に居心地の悪さを感じ、口角を上げた。 「何、変な顔してんだよ」 「変な顔してるのは土方さんの方でしょう!!」 山崎は、怒鳴りつけられビクリと身体を揺らし、身を丸めた土方の姿を視線を動かさずにじっと見ていた。 その目は冷たいようで、とても哀しそうだった。 何かを言おうと息を吸った音が聞こえたが、その言葉は紡がれずに山崎の胸の内で消えた。 「ッ……すみません」 「いや。…こんな時間に何してたんだ?」 すっかり日が落ち、電気が点っているのは、職員室と少しの部室くらいだ。 おそらく部室は最終下校時間に追われた着替えに使われているのだろう。 「新八君の勉強に付き合ってて。公立受けるから教科が多くて大変なんですよ」 「ああ、アイツ公立受けんのか…」 「すごく努力してますよ。でも俺、まだ実感湧かないんですよね」 「今そんなんじゃマズイんじゃねェのか?試験落ちるぞ?」 「あー、でも俺、専門学校行くからあんまり関係ないっすね」 「専門学校?」 初耳だ。てっきり近くの無難な大学にでも進むのかと思っていた。 「俺、バドミントンのインストラクターになりたいんですよ」 「…インストラクター」 「向いてないですかねー。教えるのは結構好きだし、もちろんミントンも好きだから、いいかなーと思ったんですけど」 「いや、いいと思う」 「ほんとですか!?ありがとうございますっ」 礼を言う犬のように笑う顔や、ペコ、と頭を下げる動作はいつもとまったく同じなのに、とても遠くのことのように感じた。 中学から高校、のように高校から大学へ行く、というわけにはいかないんだ。就職や専門学校という道もある。 偏差値に合った私大に行く予定だった。けれど、本当にそれでいいのだろうか。 「…あっという間だな。四月には十二月なんてまだまだ先に思えたのに」 「そうですね。きっと三月も…今は想像付かないけど、すぐに来ちゃうんでしょうね。 あ、そういえば私大の推薦受けたんですよね?結果発表は…」 「一週間後だ」 「…そうですか。受かってるといいですね」 「……………」 声が出なかった。山崎はお決まりのセリフを言っただけだ。 そう言い聞かせても、口からは息が漏れ出るだけだった。 「土方さん?」 「あ、悪ィ。…ありがとな」 「いえいえ。あ、もうこんな時間。じゃ、俺はそろそろ帰ります」 「ん」 マフラーを口元に上げたあとで返事をしたため、くぐもった声になってしまった。 山崎の歩いていく姿を眺めていたが、途中で歩みを止めたまま振り返りもしないことに眉を寄せた。 忘れ物か?それとも、言いたいことでもあんのか? 後者の場合を考えて、催促の意味を込めて地面をタン、タンと叩くと、山崎はゆっくりと振り向いた。 そう、見えただけかもしれない。山崎は泣きそうな顔で言った。 「身体、大切にしてください」 苦しげに呟かれた言葉に何も返せなかった。 山崎の顔には心配している様子が色濃く出てはいたけれど、それが指しているのが受験のことではないような気がした。 違う、受験のことじゃない。決まってる。コイツは気付いてるんだから。 「……どういう意味だ」 「そのまんまの意味ですよ。風邪引かないように気をつけてくださいね。さようなら」 駆けるような早足で去っていく後ろ姿を眺めて、吹き付けた風に体を小さく竦めた。 あの長い間悩んだのは直接的に言うのが躊躇われたからだろうか。 言い方を変えても勘の鋭い自分には分かってしまう。 山崎は「身体」ではなく「自分のこと」と言いたかったことに。 「…分かってるよ」 痛いほどに分かっている。身に沁みて分かっている。 今の自分のこの行為が、傍から見ればどれだけ情けなく無意味なことなのかも、分かっている。でも。 「どうしようも出来ないんだよ」 アイツがこの関係を壊さなければ終わらない。 自分は意気地のない人間だから、終わらせる勇気がない。 生ぬるく居心地のいいここから抜け出せないでいる。 ふう、と吐いた溜め息は煙になり、今度は消えるのに少し時間が掛かった。 もう一度息を吐き出そうとして、真っ白な煙が上がった。 「銀八先生」 「いやだねー。高校生なのに溜め息吐いちゃって。幸せが逃げちゃうよ?」 「人の肩から煙草の煙出すのやめてください。危ないです」 「ごめんごめん。待たせちゃったのもごめんね、許して」 「…別に、怒ってませんから」 「じゃ、行こっか」 手袋をした左手が右手を掴んだ。 安売りしてたからといって五本指の薄ピンク色とはどうかと思うが、口には出さない。 指の隙間に指が入り込み、文句を言おうとして、結局口を閉じて、指を絡めた。 「土方君は、可愛いね」 にこりと微笑まれて、顔が熱くなるのを感じながら戸惑いがちに笑い返した。 握る手の力が強くなったのを感じた。 全部分かってる。 コートを忘れるように昨夜わざと疲れさせたこと。 仕事が終わってるのになかなか来なかったこと。 俺の手が凍えて冷たくなっているのに気付いていること。 それが、先生の愛情表現なんでしょう? だから俺は先生の言うとおりにする。 何だって言うことを聞くから。文句なんて言わないから。 だからどうか、この手を離さないで。 銀←土。手袋越しに寂しさは伝わらない。 |
まどろむ仔猫 -------------------------------------------------- 初夏、というにはまだ少し早い時期。剣道場は真夏のように暑かった。 四月に入った新入生が慣れて来た頃、地獄の特訓が始まる。 受験勉強で怠けきった体で付いていくには過酷な練習。扱きだなんて噂もされる。 他の部活では夏の大会後にやめる奴が多いと聞くが、剣道部は別だ。六月で消える。 部員の気を散らしたり、邪魔をする奴はいらない。やめたい奴はとっとと辞めろ。 顧問である松平の口癖。 教師の癖にサングラスを掛けていて、この職に着く前は裏の仕事をしていたとか。噂でしかないけれど。 実際、黒いガラスの奥の目は肉食動物を思わせるほど鋭く、見つめ返せる者なんて少ないだろう。 その数少ない者が大将、副将、三将となっている。 初対面であだ名を付けて笑った近藤。視線を逸らさずに挨拶をした総悟。 何も言わず、ただ、その奥にあるものが見たくて動かなかった俺。 こんなことを考え始めた時点で集中力が切れたのは分かっていたので、素振りを止めて竹刀を自分のロッカーに入れる。 タオルを引っ張り出して首に掛け、太陽の下へと出るとようやく深呼吸が出来た。 練習している時は気付かなかったが、酸欠に近い状態だったんじゃないだろうか。 未だ扱かれている新入生を思いながらタオルの端で口元をぐいと拭う。 爽やかな風が汗を乾かして、体温を下げる。 校庭の木々に出来た影が涼しそうだと思い、少し眩しい日差しに手で影を作りながら歩みを進める。 木の後ろに回り込んで座り、先客の存在に気が付く。 「……桂?」 脇には読み途中だった本が手元から滑り落ちたのか、置かれていた。 すやすやと寝息を立てる顔は、強い瞳が隠されているためか、普段見る気難しそうな顔とは違って思わず頬を緩める。 銀八に突っ掛かるような、正義感が強い奴だとは思ってたが、意外な一面があるモンだ。 学ランに垂れる黒髪は自分の癖毛とは違いさらりと流れる。 ………流れる? 「っうおお」 地面に手を付いて変な体勢でずりずりと後ろに下がる。 周りからすれば気が狂ったかのように見えたかもしれないが、幸い辺りには人はいない。 左手が自分のものではないようで、開いたり閉じたりを繰り返す。 神経繋がってるよな? 髪を梳いた感触が残っている左手を右手で覆う。 思ったより柔らかかったとか、シャンプーの匂いが香ったとか、色々あったのだけれど、頭はパンク寸前で何も考えられなかった。 大声を立てたにも関わらず、桂はこちらの気も知らず寝入っている。 こちらの気って何だ俺ェェ!! 自分に自分で突っ込み、ぜぇはぁと息を吐く。 意味分かんねェから、わけ分かんねェから!落ち着け、俺。落ち着け。 ゆっくりと息を吸って吐くと幾分か心臓がゆっくりになって、頭に冷静さが戻 るかボケェェ!! 倒れそうになった桂の体を支えられる自分の反射神経を呪いたい。 とにかく持たれ掛けさせて、それで練習に戻ろう。そう、そうしよう。 「………俺、何してんだろ」 結局また木に持たれかかっている自らの意思の弱さに笑いそうだ。 ふぅと息を吐いて隣を見やると漆黒の髪が風になびいて肩から滑り落ちる。 伸ばした手から水のように逃げる髪を梳かし、表情を柔らかくする。 ずっと撫でたかった。 話なんてしなくていいから、一緒にいたかった。 「桂」 耳に掛かる髪を避けて名前を囁いて、自分のしたことに顔が熱くなる。 うわ、何かめちゃくちゃ恥ずいんだけど。 一瞬で赤く染まった顔を隠すためにタオルを頭に乗せる。 「あと、少しだけ」 きっと無駄だろうけれど、言い聞かせた。 土→桂。遠い記憶が、恋と共に淡く香る。 |
サイレントマジョリティ -------------------------------------------------- |
ずるいひと -------------------------------------------------- 何ともいえない曖昧な灰色の空、流れていく動きが見える雲。強風が銀髪をはためかせる。 ありゃりゃ、先客ですか。銀八は風で乱れた髪をくしゃくしゃと掻いた。 中間テストが終わり、連日の点付けでなかなか来れなかった屋上に来たものの、一筋の煙が上がっているのは予想外だった。 立ち入り禁止の札置いてあんのに。って俺が言えるセリフじゃねーな。 フェンスの前に立ちグランドを見ている男子生徒の顔はこちらからは確認できない。 短い黒髪、昼休みに煙草を吸うような奴は見当が付いたが。 「高杉」 六月になってようやくクラスに出た高杉は、可笑しなやつだった。 死活からちょくちょく保健室には着ていたらしいのだが、クラスに来ることは珍しいらしく、 他の教師からは「気をつけてくださいね」と念を押された。 他校生徒との乱闘沙汰が日常らしく要注意人物とされている高杉が退学にならないのは、 すべて金で解決されているらしいと言われているが定かではない。 人の噂で判断するような性格ではないので、会ってみてから考えようと思ったのだが、一目見て思った。 絶対そりが合わねェ。 あっちも同じように思ったらしく来るのも今日限りかと思ったが、日毎に授業に出席する数が増えていった。 一体何をしたんですか、と大袈裟に驚かれたが、別に大層なことはしていない。 高校の素晴らしさを説くなんて出来ないし、するつもりもない。 最初の授業で高杉が吸い始めた煙草を握り潰し、『授業中は禁煙だよ』と微笑んだだけだ。 何が人にとっていいのかは違うようだ。 まあ、出席日数が増えるのはいいことだが、喫煙をやめる気配は全くなく、休みやサボりの時には至るところで吸っている。 ここには来てないと思ったんだけどな…。 人が滅多に来ない屋上は(立ち入り禁止だから当然なのだが)、ゆっくりと休めお気に入りの場所だったりする。 「煙草吸うのもほどほどにしとけ。背ェ伸びなくなるぞー」 生徒の素行に注意するなんて、俺、マジメだなァ。 本人が聞いたら激怒するであろうセリフを吐きながら近付くと違和感を感じた。 高杉ってこんなに背、高かったっけ。 声が聞こえていないのかと肩に手を掛けた。振り向いた顔には眼帯がされていなかった。 俺のクラス3年Z組の学級委員を勤める優等生、土方だった。 土方は明らかにマズイ、という顔をし、走り去ろうとした。咄嗟に腕を掴んでいた。 「ッ、離してください」 「先生として、煙草吸ってる生徒を見逃しちゃあ駄目でしょ」 「………」 あーあー、黙っちゃった。にしても土方が煙草を吸うとは夢にも思わなかった。 少し着崩してはいるもののちゃんと制服を来ているし、授業でもしっかりノートを取り発言をしている。 絵に書いたような優等生が喫煙ねェ。律儀に二十歳になってから吸うかと思っていた。 「煙草吸っちゃダメでしょ。未成年だし、学校は全面禁煙」 「……先生は吸ってるじゃないですか」 「だから、これはレロ」 「それは本物の煙草ですよね」 口元を目で指され心の中でしたうちをする。 午前中舐めていた飴は原型をなくし、屋上に行く階段で人と会うとは思わなかったから本物の煙草を銜えていた。 失敗した。 「あー……。しょうがねーな。今回だけは見逃してやる」 「ありがとうございます」 こいつ、実は猫の皮被ってんじゃねェのか。 いや、実はじゃねェ。絶対被ってる。中身ゼッテー真っ黒だ。 腕から手を離しフェンスにもたれ掛かると、ガチャンとやかましい音が鳴った。 スーツからライダーを取り出し、火をつけ、ふー、と息を吐いた。 隣を見ると土方が熱心に外を見ている。 そういや来た時も見てたな。何見てんだ? 疑問に思い身体を反転させると、グラウンドではしゃいでいる生徒の姿が目に入る。 が、土方が見ているのはグラウンドではなく、脇の、昼寝に最適そうな木々のようだった。 あ?木の下に誰かいんな。 目を凝らしてみれば、木下に座り込んだ長髪が見えた。優雅に本を読んでいる。 「ヅラじゃねーか」 何ともなしに呟いたのだが、視界の端に見える身体が大袈裟に震えたのが見え、 銀八はんー、と唸り土方の方を向いた。 変わらず外を見ている目は、何も映していないのだろう。 「ヅラのこと、好きなの?」 一瞬で赤くなった顔、首筋は肯定を表していた。 へぇ、土方がヅラを、ねェ。ニタニタと笑い、舌なめずりをした。 土方の顎を掴んで無理やりこちらを向かせると、困惑と警戒の表情が見て取れた。 抵抗をしないのはばらされたくないから?好きだと知られるのがそんなに嫌? でも残念。 「アレは俺のモンだよ」 え、と喉から搾り出された声が拾えた。顔が瞬く間に凍り付いて血の気が引き、真っ白になった。 今にも泣き出しそうで、それを堪えて唇を噛む姿は本当に美しくて。言ってよかった、と思えた。 自分はこんな、壊れかけた、絶望に満ちた顔が好きだ。 サディスティックな嗜好の持ち主だとは自任している。 でもいいじゃないか。美しいものを愛でているだけなのだから。 「うそ、でしょう?」 「本当だよ。なんなら、ヅラに聞いてみれば?」 その必要も、もうないけど。 銀髪は目立つからじっと見ていれば桂はすぐに気が付いた。 にこりと微笑んで、首をとんとん、と叩くと途端にバッとワイシャツの襟を掴み顔を真っ赤にし、読んでいた本を乱暴に閉じて走っていった。 「ね?」 フェンスを握り締めて蒼白になった指を見る。 そんなに握り締めたら使い物にならなくなっちゃうかもしれないよ。剣道部副部長なのに。 「……ずる、い」 「ずるい?見ているだけじゃ手に入らないものもあるってこと、知らないの?欲しければ奪いに行きなよ」 ギッと振り向いた目は涙で潤んでいて、開いた口は反論を紡ぎ出す前に閉じられた。 赤く染まった頬は恥ずかしさのためか、怒りのためか見分けが付かなかった。 「失礼、しますっ」 走る一歩手前の駆け足で隣を通り過ぎ、ドアを乱暴に開閉する音が鼓膜に響いた。 階段をダンダンと降りる音が聞こえる。こんなことで怒るなんて若いねェ。 嘲笑して口をぺろりと舐めた。 「大人はね、一つ手に入れただけじゃ満足できないんだよ、土方」 お前も欲しくなったと言ったら、君はまた「ずるい」と言うだろうか。 白い煙がどんよりとした空に向かって頼りなく昇って行った。 ずるいというよりひどいひと。土→桂→銀で銀→土の始まり。 |
夢をみた -------------------------------------------------- |
うさぎのりんご -------------------------------------------------- |
ガラスの割れゆく音 -------------------------------------------------- 耳に届いたのはセンリツ。 黒板を爪で引っ掻く、なんて悪いものではないけれど、高い音に戦慄を覚える。 けして気分がよくなる類ではないのに、歌のように聞こえて足を止める。 まるで聖歌のような旋律。 ほんの束の間聞こえただけだからもちろんそんなわけがないのだが、音が耳に残ってじんじんと熱を持つ。 右手で耳を押さえると鼓膜がピリピリとした痛みを訴える。まだあの音が聞こえるようだ。 「土方さん、耳なんて塞いで何してるんですかィ。体育遅れますゼ」 「…あ、悪ィ、先行っててくれ。筆箱忘れた」 呆れたように見る総悟の視線から逃れて、階段を駆け上がる。 途中後輩だかに挨拶されたが、お構いなしに二階の三年生の教室まで一気に登り切る。 膝に手を当て、はっ、はっ、と荒い息を整える。 全力疾走か、前屈みになったせいか、気持ちが悪い。吐きそうだ。 こんなにしなくても遅刻なんかしねェのにバカじゃねェの、と自分を笑って教室に入り、改めてうちのクラスが問題児だらけと言われるのが分かった。 シンと静まり返った教室は嘘か幻のようで酷く不安になった。 自分の席に向かい机の中に手を突っ込み目当てのものを取り出し、さっさと行くかと踵を返した時、またあの旋律が聞こえた。 鳥肌が立つ。得体の知れないものへの恐れ。振り返るな。戻れなくなる。 頭の中では警鐘が打ち鳴らされてると言うのに、体は勝手に動いていて、いつの間にか窓辺まで辿り着いていた。 熱に浮かされた頭は考えることを放棄し、命令なく手は窓を開ける。 吹き込んだ風は強く、冷たく、一瞬にして現実へと引き戻す。 「……何してんだ、俺ァ」 永い眠りから覚めたかのごとく、突如クリアになった視界で数回瞬きをし、風でたなびく髪が顔に当たり不快を感じる。 そもそも何で窓を開けているのか。自分でも理解不能な行動に首を傾げながら金具に手を掛けて、固まった。 目に痛く光る破片の中に、柔らかな光を放つ銀色。 思わず身を乗り出し、瞳孔の開いた目で見ると鈍い音がした。小さな呻き声も。 黒いスーツを着たいかにも悪そうな長身の男。足元に横たわる、白衣を着た、クラスの担任。 ゆめ?ハッ、だったら、胸クソ悪ィ夢見せてんじゃねェよ。 心の中で悪態を吐きながら、本日二度目の全力疾走。 放課後の部活がキツイだろうな、なんて頭の片隅で思いながら。 チャイムが鳴った後なのか人影は見当たらない。好都合だ。 うまく動かない手で上履きを投げ捨て革靴に履き替え、走る。 校舎の裏側、多分化学室だか物理室の裏。 「…せんせ?」 夢だったらよかったのに。 「チッ、また来る時までにあるだけ掻き集めておけよ」 革靴の音を響かせて去っていった男の背中をぼんやりと眺めて、ハッと正気に帰る。 アイツは、何をしていた? 追い掛けてぶん殴りたい衝動に駆られたが蹲っている銀色を見捨てることは出来なかった。 割れたガラスの欠片があちこちに散らばっていて、周りに落ちているのをあらかた片付けてから体を抱き起こした。 力が抜けてぐにゃりとした体に最悪のビジョンを思い描いたがぶんぶんと頭を振って消し去る。 対格差のせいで苦戦しながら校舎に持たれ掛けさせる。 トレードマークとなっている体を包む白衣には砂と、少量の血。 上をみやれば窓が割れているから、大方あの男に殴られでもした時にぶつかったのだろう。 聞こえた旋律はガラスが割れた音か?でも二回聞こえたよな? 疑問に思いながら血の気の失せた頬にぺちぺちと手を当てる。 まさか死んじゃァいねェよな?口元に付いた血を指で拭い取り、顔を覗き込む。 違和感を感じて白衣と同じ彼を表す眼鏡がないことに気付く。 体を百八十度回転させ、土の上に飛ばされた眼鏡を見つけ、手を伸ばす。 「あー、皹入っちまってる。フレームまで歪んでら」 使い物にならないだろうなと思いながら、ゆっくりと力を込めて左右対称となるように直していく。 人から見れば壊してるなのかもしれないが、破壊と創造は表裏一体だから、と言い聞かせる。 くい、と微弱な力で学ランを引っ張られ振り返る。 「怪我痛むからあんま動かない方が」 続く筈だった言葉は重なった唇に掻き消された。 「せんせ、い、何、を」 「親が払えなくなったら今度は俺だぜ。ふざけんじゃねーよ、殺したのは手前ェだろうが」 「俺は哀れだろ?惨めだろ?同情してんだろ?」 「なァ、慰めてくれよ」 噛み付くようなキスに眩暈がして、血の匂いにむせ返った。 乾いた砂がズボンに擦れて、壁に押し付けられた背中が熱を発する。 繋がれた箇所からは体を震わす痛みと、鮮血が流れた。 ねぇ、コレは何ですか。 悪い夢なら、早く覚めて。 絶え間なく流れる涙のせいでぼやける視界で、銀色と赤い瞳が見えた。 どうしてそんなに辛そうな、泣きそうな顔をするんですか。 恥やプライドを捨てて救いを求める術を持っていないんですか。 それなら、俺が捌け口になる。泣き喚くことが出来ないのなら、俺がすべてを受け止める。 「せんせ、ぇっ…!」 頭の中ではずっと旋律が流れていた。 悲鳴のような、祈りのような、旋律が。 銀土が銀←土に変わった日。救いなんていらない。 |