ホスト金さんと警察官土方君のお話。ポルノグラフティの「横浜リリー」より。 「へたくそ」 どちらのものだかも分からない唾液がてらてらと光る唇を拭い、女は形よく塗られた口紅を歪ませた。 伸びた紅は口裂け女を彷彿とさせ、しかしそんなことを言ったらビンダの一発や二発を喰らうだろうから心の中で消化する。 決してキスの経験が数えられるほどだとか、めちゃくちゃ不器用だとかそういうわけでもないけれど、とりあえず謝る。 お客様は神様。神様さまさま。神様のおかげで俺は生きてます。 一つ失敗したらドミノ倒しみたいにすべてが連鎖して崩れて俺の居場所はなくなる。 そうやって消えてったヤツを俺は何人も見てる。 「ホモだからこんなに下手なの?」 悠長に考えごとしてる場合でもなかったことにようやく気付いた。 弁解しようと慌てると、への字にしていた唇は孤を描き、突き刺すような声がエコー掛かって聞こえる。 「私、金さんのこと好きだったわ。でも、さよなら」 でも、理由はなんだってんだ。怒鳴りつけかったが理性が辛うじて押しとどめた。 今までの客商売なら、宥めすかせてベッドへ、なんて展開慣れているのに、今回はどうしてだか後ろ姿をぼんやりと見送った。 恋人、だったからだろうか。ま、実際はセフレだったけど。 ハイヒールを鳴らしていく細い足首が今にも折れそうで妙に艶かしくて、何とも言えない気持ちを覚えながら俺はちっとも欲情していなかった。 そう、ホモだから。 ホモだから、なんだってんだ。 「ええホモですけど何か問題が?」 口に出して、大アリだっつの、と悪態吐いた。 にびいろリリー 横浜。 この先改名するような事態にならないことを祈る場所や、観光スポットとなっているただのビルや、ぎゃーぎゃーうるさいカモメやガキどもがいる、港町。 俺的にはそんな感じ。嫌いってわけじゃない、嫌いならこんなとこに住もうなんて思わない。 首都圏に入るから東京まで行かなくても物は揃うし、行くとしたって交通の便がいい。 勘で決めた引越し場所だが、なかなかいい。俺の直感は外れにくい。ぐっじょぶ俺。 で、まぁ俺は某公園のベンチに座って、やかましいことこの上ないカモメの鳴き声とずらっと並ぶ姿にうんざりしながらイチゴ牛乳をちびちび飲んでた。 味覚が子どもだとか言われるけどもこのうまさを理解出来ないヤツの方が子どもだと思う。 この、酸っぱさと甘さの絶妙なバランス!初めてイチゴと牛乳を混ぜたヤツにスタンディングオベーションを送りたい。 あぢー。 口にしたらもっと暑くなるだろうから言わない。 しなくても暑い。つか動いたら暑くなる。考えごとするだけで暑い。てかもう、何しなくたって暑い。 そこの海に飛び込んだら涼しくなるだろうか。ゴミがぷかぷか浮かんでそうな気がすっけど。 つかこの暑い中、何日シャワー浴びてねェんだ。 カプセルホテルで凝り固まった肩をゆっくりと回す。いててて。 今までのヒモ生活のあまりに長くて楽で、自分の家なんてとうに売ってしまった。 金はあるけど、買うのはめんどくせェしなァ。どっかに泊めてくれるいいお姉ちゃんいねェかなー。 ふらふらと柵へと近付く。海というより沼みたいな色した海水。 思った通りに誰かが捨てたビニール袋がクラゲみたいに浮いている。 底が見えない。何メートルあんだろ。 「んん?」 何かが光ったように見えて、目を擦る。 太陽の光の反射ではなく、ピカッと射抜く強い光。 柵に手を掛けて身を乗り出す。確かあそこら辺で光ったような…。 「オイッ!!」 え?あ、あれれ? 後ろに引っ張られ、体が宙に浮く。ジェットコースター? 地面に尻餅をついて顔を上げると黒づくめの男が立っていた。 いや小さくなる薬を持ってるヤツらではなくね、格好、髪、目、すべてが黒色。 そして女にめちゃくちゃモテそうなツラ。絶対ェ、性格合わねェ。断言してもいい。 痛む腰を擦りながら文句を言おうと口を開くと、ソイツは 「早まったマネすんじゃねェ!」 と叫んだ。 「何があったか知らねェけどな、んな簡単に命捨てんじゃねェよ!」 えーと、その、なんだ。 「お前が死んだら悲しむヤツいんだろ!?バカなこと考えんじゃねェよ!」 コイツ、ものすごい勢いで誤解してない? 「そんなに死にてェなら俺が殺してやる!」 アナタはどこの熱血教師ですか。 「にやにや笑うんじゃねェ!人をバカにしやがって…」 「いやいや、してないしてない。今時珍しいなぁって思っただけだから。 ふつーこういうのって見て見ぬフリか、警察呼びに行って自分は見ないようにするっしょ?」 「…おかしいか」 「いんや、いいと思うよ。こんなピュアなヤツ珍しいとは思うけども」 ん?つかなんで俺はコイツと普通に喋ってるんだ? コイツはコイツで何か恥ずかしがってるようだし。照れて、る? 二十代後半(と思われる)野郎が照れてる。いやいやいや、ちょっとどうかと思うよ。 コイツには何でか似合ってしまうのだけれど。純粋なのって罪だよなァ。 「そうだ、二ついい?」 「あ?あぁ」 「一つ、俺は別に自殺しようとしてたわけじゃないから。海眺めてただけだから」 あ、ぽっかーんとしてる。すぐに顔が真っ赤になる。 やっと気付いたらしい。天然ちゃんですか。 にこにこと笑顔を向けたままもう一つ。 「二つ目。俺のイチゴ牛乳返せェェェ!!」 地面に染み込んだ愛しのイチゴ牛乳の恨みを込めて、右ストレートをぶち込んでやった。 あまりに見事過ぎて、しまったと思ったのはヤツが気絶してからだった。 「あ、目ェ覚めた?」 ゆるゆると開かれた目を覗き込むとぎょっとされた。俺は幽霊か。 黒さに気付かなかったが瞳孔が開いている。喧嘩っ早そうだなァ。 「は?え、ここ」 「お前ン家。わざわざ運んでやったんだぜ、感謝しろよな」 気絶させたのは俺だけど、恩は売れるときに売っとけ、だ。 「いやー、どこぞの教師かと思ってたらお巡りさんなのね。道理で止めようとするわけだ。見上げた志ですね」 眉間に皺が寄っていく。キレイに整ってんのにもったいねェ。 褒めたつもりだったのになァ、敬語を使うのがマズかったか。 「あー、仕事云々で性格決められんのも嫌だよな。悪ィ悪ィ」 「どうやってここに入った」 やっぱりそういう話になるか。 「俺は超能力者じゃないから壁を通り抜けるなんてこと出来ないし、普通にドアから入りましたけど?」 「普通、に」 「ポケットに入ってた鍵で、ふつーに」 「…手前ェ、勝手に人の物漁ったのか」 「気絶したお前が悪い」 「気絶させたお前の方が悪いだろうがァァ!!」 正論。 「だからここまで運んであげたんじゃん。 あそこで放置しといてもいいけどさー、カモメが寄ってきて真っ白になるのはどうかと思ってさ」 「なるかァァァ!!」 テンション高ェなァ。 俺と似たものを感じたが、テンションの高さは天と地ほども違うみたいだ。 「まァまァ、過ぎたことは気にしないで。ほい、どーぞ」 「あぁ、サンキュ。ってこれ俺のビールじゃねェか!」 「気にしない気にしなーい」 怒りを堪えている姿に小さく笑う。 面白ェヤツ。こんなに短気で警察官なんてやってられんだか。 ぐいと煽ると苦味が喉に染み込んでいく。ビールはあんまり好きじゃない。苦いもの全般、嫌いだ。 「なァ甘いモンねェ?」 「手前ェ図々しいにも程があるぞ」 「俺、甘味がねェと生きてけねェから」 「お前は森に迷い込んでお菓子の家で一生暮らしてろ」 「あ、それいいね」 でも焼かれて死ぬのはキツそうだからパス。 死ぬならパフェに囲まれて死にたい、と言ったらバカか、と鼻で笑われた。半分本気だったのに。 「つか、お前、誰だ?」 「人のこと聞くならまず自分から、でしょ?」 「…土方十四郎。警察官だ」 「何でケーサツに入ったの?」 「俺を助けてくれた、尊敬する人が警察官になると言ったからだ」 「ふーん、お前がなつくなんて相当な人だねェ」 「あぁ、俺は近藤さんに一生付いていく。あの人の願いを叶えてやることが俺の願いだ」 褒めてやったらまぁペラペラと。コンドウさんてのはそんなにいいのかね。 コイツの瞳の奥には、野良猫みてェな魂がちらちらと垣間見えるから、 引っ掛かれても雨に濡れた猫を洗ってタオルで拭いてなつかせてしまうような、懐の広いヤツなのだろうけれど。 コンドウさんを思い浮かべる目を、俺だけに向けてやりたい。 コンドウさんについて語る口を、俺の口で塞いでやりたい。 「あ、お前の名前聞いてねェじゃねェか。俺だけ話して不公平だ」 お前が勝手に話してたんだろうが。 毒づこうとして頭に過ぎった言葉に自分で驚く。 アレ?俺イラついてる? 「…何だと思う?」 出会ったばかりの人間の名前を当てろだなんて、バカバカしいにも程がある。 あーあー、呆けたツラしてら。これじゃ質問の内容も飛んじまってんだろうな。 って、なに残念に思ってんだよ俺。他人なんてどうでもいいのに。 「悪かったな、変なこと聞いて。俺ァもう帰るから、忘れてくれ。 お礼はそのビールで我慢してやっから。これに懲りたらあんなことすんじゃねェぞ」 まくし立ててソファに掛けてた上着を手に取る。酔ったせいで暑く、羽織る気は起きない。 新築だろう床は足音さえも立たせなくて、俺がここにいた証なんてあっという間に消えちまうんだろう。 取っ手の冷たさだけがリアルだった。 「ぎんとき!」 振り返っちまったんだ、俺は、不覚にも。 「なん、で」 「お前に似合いの名前だと思ったんだ。……やっぱ、違う、よな」 この金色の髪を見て、どうして銀がつく名前なんて思い付くんだ。 バカだ、心底バカだ、アホだ、のろまだ、カボチャだ、ナスだ、死ね、死ね、死ねッ。 思いつく限りの悪口を言ってるのに俺の視界はじんわり滲んで、頬を伝う液体は熱くて、口に入ればしょっぱくて。 なんかを語るはずだった言葉は互いの口中で掻き消えた。 コイツの中を、俺で埋め尽くしてやりたい。 「あんれ、もう行くの?」 布団の中から顔を出し、着替えを済ませたヤツの姿が目に入る。 寝ぼけていたせいで気の抜けた声になるがいつも通りと言えばまぁその通りだ。 「仕事だからな。手前ェは」 「俺は現在絶賛仕事探しちゅー」 「絶対ェマジメにやってねェだろ。前の仕事だって遅刻やサボりで辞めさせられたんだろ?」 「失敬な。こっちから辞めてやったの」 「ふーん…」 気になってる気になってる。 「知りたい?」 「…別に」 知りたいくせに。 「教えてあげてもいいよ」 得意の流し目でにやり。 コレで落ちなかったヤツなんていねェんだから。 「一夜の夢を、売ってたの」 あ、判断つけかねてる。かーわい。つい舌なめずり。 「ホストだよ、ほーすーと」 「…あ、あぁ、そう、か」 「なーに?えろいことでも考えた?」 「ち、違ェよッ」 ぷいと背けられた横顔のラインが俺好みだなァなんて思って、再び舌なめずり。 今からヤりたい、なんて言っても仕事だ、って流されるのは目に見えてるけど。 しょうがねェからヤツの手を掴んで、指を一舐め。後で抜こっと。 「あ、そうだ、ここに住んでいい?」 「はぁ?」 「いやー、俺、今、自分ン家ないからさ」 「家賃滞納で追い出されたか」 「まぁ、そんなとこ」 「なら親元にでも帰ればいいだろ。田舎に帰って農業してろ」 ホストへの偏見、ヒド過ぎ。出稼ぎで来てるヤツだけじゃねェって。 ま、一般人からすりゃそうなのかね。軟派な仕事だって言われるし。 俺としちゃ好きだけど、体質的に弱い酒を何杯も笑顔で飲まなきゃいけないのはかなりキツイんだけど。 慣れちゃえば楽だけどね、作り笑いなんて。 「俺、家族いないから」 こんなこと言ったら一緒にいられないって分かってるけど。 なぁ、お前の目に、家族のいない元ホストはどう映る? キレイな漆黒の目に、穢れた金色はどんなに可哀相に醜く映るのか、知りたかった。 「……その…悪かった、な」 同情か。つまんねーの。 哀れんで自分はそうでなくてよかったと胸をなでおろしてるんだろうに。 「べっつにー?よく聞かれるし」 そういう目をよく向けられるし。 「でもっ」 「いーよいーよ、気にしないで」 慣れてるフリ。一晩のお相手、それで終了でいいだろ? さっきのは忘れて、ホテルに泊まるから。他人と同居なんて息が詰まるし。とまでは言わないけど。 へらへらと笑ってやるとアイツは唇を噛み締めた。もったいねェ。 とか悠長に思ってたら視界がブレた。ゆっくりと、けど確かに左頬が熱を持つ。 「お前、ほんっと苛立つんだよ!」 えええー、苛立つって、それでビンダですか。 最近の若者はキレやすくていけねェよ。ってアレ、俺も若者じゃね? 「何だよ、可哀相でしょ同情してください、って情けねェツラしやがって。したたかに生きてんじゃねェか。 家族がいねェならなおさら踏ん張って生きろや!楽な方に逃げてんじゃねェ!! あぁ、住ませてやらァ、ただしちゃんと働け。真っ当な仕事で汗水垂らして金貰え!」 はー、一大演説。 とりあえず分かったのは、コイツは紛れもなく熱血だということと。 「あー、まぁ、うん、やってみるわ」 「やってみるんじゃなくて、やるんだよ!」 「ほいほーい」 「…テメェ」 「何度も言わなくても分かったって。それよりさ」 俺の好みにストライク、いやデッドボールしたってこと。 「ね、もっかい」 流れてく時間を気にするなんてバカらしい。今を楽しむ方がずっと有意義に時間を過ごせる。 事なかれ主義でいこーぜ。問題なんて放置しときゃいつか解決すんだって。 金さんは生粋のホモで、下品な表現を使うのが好きです。 誘い金さんと男前土方君なのでカプはご自由に。 |