二日前、巡回の当番だった総悟がもう一人の平隊士の目を欺いて、サボりに興じたらしい。
泣きつかれた俺は渋々探しに行った。何度も狩り出されているから分かる。
アイツは自分の慣れた場所でしか、安全だと分かっているところでしか寝ない。
そして、内に入れたものに酷く弱い。近藤さんのように分かりやすくはないが。

俺はどうなのだろう。近藤さんを守る、それは内にいるからだろうか。違うように思う。
彼は俺の憧れとして外にい続けるのだから。
総悟は考えるまでもない。もし俺がアイツを斬らねばならない時が来たら、俺は躊躇い泣く刀を振るうだろう。

その総悟が、二日経った今夜になっても帰って来ない。





殺めし者の幸せを願う






一人抜けただけで屯所の雰囲気が変わっている。
一番隊はまとめる者がいなくなって不安になるのは分かるが、他の隊、総悟とまともに話したことすらないようなヤツまで落ち着かない様子をしている意味が分からない。

「トシ」

普段の喧騒はどこへやら、静まり返った食堂でただでさえ大きい声が響く。
チラリと視線をやり食事を再開する。手を止めてはいけない気がした。

「総悟のことなんだがな…」

真向かいに座って話すことなど他にないだろう。今や真選組内で持ち切りの話題はそれだけなのだから。
かしこまった姿にうんざりしながら、既にマヨネーズが掛けられている白米の上に更にマヨネーズを絞る。
いくら何でも掛け過ぎだとは思ったが元には戻せない。

「アイツのことだから、どっかでふらふらしてるとは思うんだがな。ここまで連絡を寄越さねェのはおかしい。携帯も繋がらねェし」

マヨネーズとの比率が3:1になった白米を口に運ぶ。
酸味しかしない。それでも黙々と口に運ぶ。

「さすがにおかしいだろ?これは何かの」
「近藤さん」

思っていたよりもきつい声が出てしまい自分で驚く。
あぁ、本当にめんどくさい。マヨネーズのチューブを取り、ありったけ茶碗にぶちまける。
これで5:1。人の食うモンじゃねェな。

「今夜、俺が見回りに行く」
「そう、か。山崎とか?」
「一人でだ」
「いや、しかし、攘夷派の仕業だったら」
「拉致しようなんて浅はかな考えをしているようなヤツに総悟が負けるわけねーだろ。
どうせそこらで腹空かせて寝てんだ。とっ捕まえてくる。
それにもし攘夷派の仕業なら大掛かりに動くのが一番マズイ。この混乱に乗じて狙ってくる可能性がある」
「でも、トシ」
「この話はこれで仕舞いだ。念のため屯所の警備を強めといてくれ」

打ち切った会話の気まずさを流すように茶碗を手に取る。
かっ込んだ白米はマヨネーズの中に浮かんでいるようで強い酸っぱさしか感じなかった。
悪酔いして吐いた時みてェだと思って、今の自分が大層不機嫌なことに気が付いた。
近藤さんに当たるなんて信じられない。たかが一人居なくなっただけで。
鯉口を切ると聞き慣れた音が耳に届く。

斬ってしまいたい。
近藤さんにあんな顔をさせるアイツを。真選組を崩壊させかねないアイツを。俺をこんなにも掻き乱すアイツを。
俺を殺したいというアイツの気持ちが分かった気がした。
殺したら、きっと楽になれる。
甘美な誘いを頭から振り払い、温かいような涼しいようなどっちつかずの空気の中へ身を放り出す。
頭上には満月が輝いている。


変だ。こんな遅くに出歩くような奇特なヤツはいないから、人々の様子を指しているわけではない。
町がおかしい。建物もいつも通り、街灯だって時々点滅しているのがあるだけで変わりはない。
だのに、この拭いきれない違和感は何だ。
得体の知れない、鳥肌の立つような、背中からじんわりと忍び寄る、なんと形容すればいいのか分からないが。
恐怖とはまた違う。恐れはしない。ソレはゆっくりと近付きながらも襲い掛かる気配はまったくないのだから。

幽霊、じゃ、ねェよなァ?
口をひくりと動かし後ろを振り返る。続く電灯、暗闇、建物。まるで迷路のように。
ぐるぐると回っているうちに囲まれて抜け出せなくなりそうだ。
脳裏に攘夷浪士に囲まれ倒れたアイツの姿が浮かび慌てて頭を振る。
オイオイ、それはありえねェって。世界がひっくり返ってもそれはない。俺が保障する。
保障したところでどうにかなるものでもないか。
考えに呆れて鳴らした鼻に嗅ぎ慣れた臭いがした。ありえないと一蹴した図が再び浮かぶ。

鼻を突く濃い血の臭い。そんなのありえない。だって、アイツだ、あの沖田総悟だ。
否定しながらも足は進み、いつしか駆けていた。
ある建物を過ぎて足を止める。建物と建物との間に入り込む。
町を覆うソレがただ静かにそこにいた。

地面に散らばる金の髪。
珍しく隠されていない瞼。
暗闇に溶け込む体。
その体を引きずり込もうとする水溜まり。
すべてを月の光が照らしている。


そして辺り一面に散らされた紫の花。


千切られた花弁、潰されたのかしおれたのか皺くちゃになったものが散乱している。
かろうじてもぎ取ったままの花の形を留めた物は頭に挿されている。
金色に紫が不気味なほど似合っている。

死がそこにはあった。

ちゃぽん。水溜まりに踏み入れたブーツが音を立てる。
濁った水、黒色、太陽の下では赤色であろう。
濡れていない頬の白さが幻想的で、この世の物ではないものを思わせる。
青白く染まる頬に触れようとして止める。満月の光を遮る者がいた。
誰だ、と問うことは叶わずに意識が暗い縁へと落ちていく。
甘ったるい香りが一瞬、かつ強く鼻腔を掠めた。


ぽとりと落とされた紫色の物体をシャーペンで脇へ避け、羅列された数字を睨む。
夏休みの予定表。本来なら顧問に任せていいものなのだが、よりによってあの銀八なのでしょうがなく作っている。
練習メニューと時間、お盆には数日の休みを入れなければ部員から不満の声が上がるだろう。
唸りながら何度も消した跡が残る紙に書き込んでいく。

「あーあ、ハートブレイク」
「てめェがんな玉かよ」
「うわっ、なんて鬼なんですかィ。俺はガラスのハートの持ち主ですゼ」
「へぇへぇそうですか」

適当に相槌を打ちながら予定を固めていく。めんどくさい。
そりゃ部長の近藤さんよりはこういった分野が得意とはなるのだが、それが世間一般でも通じるかは微妙だ。
元々先を読んで行動するタイプじゃない。考えるより先に手が出るタイプなのだ。
再び紙の上に乗せられた紫色にぴきりと顔が引き攣る。

「オイ、こりゃ何だ」
「嫌がらせ」
「おー、よく分かってんじゃねェか」

口をヒクヒクとさせながら隣に立つヤツを睨む。

「これは、な、ん、だ」
「折り紙」
「見りゃ分かる」
「アヤメ」

呟かれた単語が呪文か何かのように聞こえて口を開けたまま呆けてしまった。
どう考えてもコイツと結びつかない。

「アヤメ、花のアヤメですゼ。知らないんですかィ?」
「あー…」

見たことあるようなないような。花の見分けなんてほとんど出来ないのだから当然だが。
言葉を濁すと、からかうと思われた総悟は一つ溜め息を吐いた。
呆れたものではなく、どちらかと言えば疲労から来るものだったことに違和感が生じる。

「じゃあ、知らねェですかねィ」
「何がだ?」
「花言葉」

花言葉!なんて似合わない。
よもやコイツの口からそんな言葉を聞ける日が来るなんて思いもしなかった。
花言葉!ドSで通ってるコイツが花言葉!

「にやにやして気持ち悪ィなァ。あ、気持ち悪いのは元からか」
「オイ、今何つった」
「土方さんの性格が悪いのは元からだって」
「変えんじゃねェ!っつか悪くなってるってか、悪いのは手前ェだろ!?」
「日本語もまともに喋れねェんですかィ。俺には意味がサッパリ分かりませんゼィ」
「って、め…!」

握り締めた右手の中でシャーペンが不穏な音を立てたので、しょうがなくペンを机の上に転がす。
脇に退けた折り紙を摘まみ、眺める。

「で、コレがどうしたって?」
「土方さんには分からないからいいでさァ。土方さんですからねィ、何たって土方さんですからねィ」
「おまっ、ほんっとイラッとくるな。なァ、一発殴らせてくんねェ?痛くしねェから」
「丁重にお断りしまさァ」

にっこりと微笑む顔を殴りたい衝動を辛うじて押しとどめる。誘いに乗るな、俺。

「あー、そうだ、土方さんだから絶対分かんねェとは思いやすけど、一応話してみますねィ」
「絶対って、テメ…」
「土方さん、この世界はアンタがいなくなったらなくなるんですゼ」
「…俺一人いなくなっても世界は変わりなく動くだろ」

まったくわけの分からないことを言う。

「いーえ、この世界、土方さんが思っている世界はアンタがここに世界が『ある』と思ってるからあるんで、死んで思うことが出来なくなったら、なくなるんでさァ」
「…どっかに頭ぶつけたか?」
「でも『ない』ってことも『ない』。世界が本当にないのなら、どうして『ない』って思うことが出来るんですかィ。
そんな存在しないこと、誰も思いつかない。だから、死んでも世界はあるんでさァ」
「言ってること矛盾してねェか?」
「……やっぱり、土方さんには難し過ぎやしたねィ」
「つか何だ、そりゃ哲学か?本に影響でも受けたのか?」
「人の考えに納得して大きく頷くことが哲学ですゼ。俺の言ってる事にも頷かねェと」
「いや、納得してねェから」
「ふふっ、土方さんってほんといいでさァ。納得した振りをするよりも、分かってないと分かる方が断然いいんでさァ」
「それも何かの本か?」

「…ま、一つ覚えといてくだせェ。この世界はアンタが『ある』と思うからあるってこと」

「だーから、意味分かんねェっつってんだろ」
「その折り紙、あげまさァ」
「は?いらねーよ」
「持ってたらいいことありますゼ。ドア開けたら黒板消しが降って来たり、変なとこでつまづいたり、バケツに足突っ込んだり、ペンキ頭から被ったり」
「それのどこがいいことだ?あ?」
「まぁ、持っといてくだせェよ」

五時間目の移動教室のために廊下へ出て行った後ろ姿を眺めてから、シャーペンを筆箱に仕舞う。
確かにそろそろ行かないと体育に遅れる。予定表は後回しにしよう。押し付けられた折り紙をどうするか考え、鞄の中に突っ込む。
教室のドアを開けると、頭に重さを感じ白い粉が視界を舞い、足元に張られていたロープに足を引っ掛けて転び、 バケツに足を突っ込み、慌ててドアを掴んだらバシャリと掛かる音がした。
幸いだったのはペンキではなく墨汁だったことくらいか。

「そーうごォォォ!!待てコラァァ」

してやったりと笑う総悟を全速力で追いかけた。


「土方さん、土方さん」

あー、うっせェ。寝始めたのいつだと思ってんだ。たまにはゆっくり寝かせろよ。
頭がズキズキ痛む。二日酔いの典型的症状。今日の仕事を思い唸る。液キャべまだあったっけ…。

「土方さん、土方さんッ」

あーうー、うっせェなァ。起きりゃいいんだろ、起きりゃ。
クッソ、ほんと苛立つ。この声の主が。

「うっせェな、山崎ィ!!ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃーと。頭に響くじゃねェか」
「トシ!!」
「近藤さん?何でここに…。あ?ここどこだ?」
「病院です。夜の見回りから帰って来ないので心配して探しに行ったら、血塗れで倒れてるんですもん。ほんとビックリして!」
「それにしてもよかった。軽い怪我だからすぐに目を覚ますとは言われたが心配でなァ」
「一応頭の怪我だったんで検査も含めて三日はいてくださいね」

二人の会話を遠くに感じながら、感じてる場合じゃないと思い直す。
ここにいない、アイツはどうした。

「…総悟、は?」
「総悟?」
「沖田さんならいつものように寝てましたよ。縁側で気持ちよさそうに」

和やかに笑う山崎の顔を殴る。涙目で文句を言う山崎にもう一発ぶち込んでから、近藤さんに問い掛ける。

「それじゃ、総悟に怪我はなかったんだな」
「怪我?…何のことを言ってるんだ?大それた事件なんてこの頃なかっただろ?」
「へ?だってアイツが見回りをトンズラして、二日経っても帰って来なくて、俺はそれを探しに行って…」
「総悟ならずっと屯所にいたぞ?頭打ったせいで記憶が混乱してるんだな」

そんなことない。俺は今でもハッキリと、マヨネーズ塗れの白米の味も、月夜の下のあの光景も思い出せるんだ。
アレが夢?そんなわけない、あるはずがない。

「にしても電柱に頭ぶつけて倒れてるなんて、鬼の霍乱ですか?土方さんらしいと言えば土方さんらしいですけど」
「出血だけは多かったからビックリしたよ。血溜まりの中にいたからなァ」

コレは悪夢か?包帯の巻かれた頭がズキズキと痛み始めた。


結局、三日を無理矢理一日にして、起きた当日に医師の制止を振り切って屯所へ戻ることにした。
あれだけ聞いても尚、あの光景が頭から離れない。
閉じられた瞳。二度と開くことのない、真っ白な瞼。あの頬はおそらく冷たくなっていた。

身震いをして、一体何に恐れているのか、と笑う。
日常に死は満ちているというのに。
ただ気付かないだけで。周りに常にあって、自ら作ることもあるというのに。
なぜ、死はこんなにも。

いいや、恐怖してなどいない。そんなことをしていたら、守りたいものが守れなくなる。
自分より大事なものを自らの手で壊してしまう。

「副長、大丈夫ですか?気分悪いんですか?やっぱりもっと休んでからにした方がよかったんじゃ…」
「……そういやお前、病院で土方さんっつってたなァ」
「えっ?そ、そうでしたっけ?いやー、覚えてないなー」
「コラコラトシ。山崎もすごく心配してたんだぞ。驚いてつい言っちまったんだろ」
「そうです、俺は副長のこと心配して!」

釈然としないながらも足を進める。
見慣れたはずの屯所の門を久し振りに見た気がして舌打ちをする。
近藤さんや山崎との掛け合いも、何も変わってない。なのに言いようのない何かが体を包む。
走り出す。周りの音は聞こえない。通り過ぎた隊士に脇目も振らず駆ける。

屯所の縁側。吹き抜ける風が気持ちいいと総悟は愛用(この言い方はおかしいか?)していた。
あのふざけたアイマスクをしながら寝そべって、起きてから体が凝ったと文句を言って。
木の板が悪い、じゅうたんを敷きましょう、だなんてふざけたことを提案して、怒れば次からちゃっかりと毛布を敷いて寝ていたりして。

一体何度キレたか覚えていない。クスリと笑って浸っている場合じゃなかったと思い返す。
思い出していたことがすぐにも過去形に変わりそうだったのも気に食わない。
まさか、まさか。
いやな予感を振り切るように、縁側へと体を滑らせる。

「…いな、い?」

そこには誰の姿もなく、誰かがいた痕跡もなく。
頭から血が下がる音が聞こえるようだ。
ザアアと頭から、手から、血が引き、心臓に集まり早鐘を打つ。
まさか。

「そう、ご」
「呼びやしたかィ?」
「!?」

驚きで声も出ないというのは正にこの状況で、ダルさ二割増の総悟がそこにいた。
振り返ったまま固まった俺をいぶかしんだのか目の前で手を振られる。
まだ呆然としていたが、手がパーからチョキに変わった時には本能が危険を察知して覚醒した。

「あっぶねェなァ!何すんだ!!」
「そりゃこっちのせいでさァ。人の顔見て幽霊見たみてェな面しやがって。死ね土方コノヤロー」
「…手前ェは、路地裏で倒れてた、だろ?」
「ハァ?妄想癖も程々にしてくだせェ。確かに誰かさんがいないせいで、倒れそうなくらい働かされてやすがね」
「……はっ」

力の抜けた足がぺたりと地面につく。着物が汚れるが知ったこっちゃない。

「はああー」

脱力。
笑いたいような泣きたいような微妙な気持ちが、悪くないと思った。


騒がしく慌しかった日から約一ヶ月が経ち、たまたまその夜は見回りだった。
大きな捕り物があったばかりで疲労していた隊士が多かったのもあり、総悟とペアになっていた。
目を光らせていたおかげか、本当に人手が足りないのを分かってか(99.9%ありえないが)巡回に行くことが出来た。
総悟は眠い眠いと文句を言っていたが、今日もたっぷり昼寝をしていたことは分かっているので引きずり出した。

空が明るい。今夜は満月か。
ふとあの夢を思い出す。やけに大きく見える月を眺めていると足を蹴られる。
むわっとした熱を含んだ空気の中に少しでもいたくない、ということだろう。
自分も同意見だったので夜空の元へ足を踏み出す。特に会話はない。
そりゃ辺りに聞こえるような大声はマズイが、総悟が一切喋らないというのも珍しいなとこっそり覗き見ると大欠伸をしていた。眠いだけか。
杞憂に終わったことに安堵して前を向く。見てたら移っちまったじゃねェか。手で隠しながら欠伸をし、目を擦る。
チカチカと光る電灯。張り付くように甘ったるい匂いがした。


持てるだけ持った、両手に溢れる花。
空に浮かべると重力のまま落下する。
ぽとりぽとりと降り始めの雨を思わせる速度で花が落ちる。

赤色に沈んだ花が侵されながら自分の色を主張している。
黒の上に落ちた花は、消して交じり合うことなく軽やかにそこにいる。

花を千切って撒き、手元に一つ残った花を見る。
完璧な姿を保っているそれを黄金の土台に突き刺した。

とてもキレイだ、ここにすばらしい絵が出来上がった。
うっとりと白い頬を撫でる。伏せられた目も、瞼も、すべて愛しい。
ようやく自由になった手で唇に触れ、口付けた。

この夢は、いつになったら覚めるのだろうか。


左頬が熱を持ちじんじんと痛みを訴える。壁にしこたま打ち付けた背中も痛い。
だがそんなのは取るに足らないことだ。近藤さんにあんな顔をさせたことに比べれば。
倒れた総悟の横で笑っていた俺を引っぺがし、パンチを食らわせた後、近藤さんは慌てず冷静に救急車を呼んで総悟を病院に運んだ。
書類でのミスで焦る顔とは別人のようだった。
ああ、だから、この人が大将なんだ。動けない俺じゃなく。
そんなアンタだから、俺は付いていくと決めたんだ。

壁一枚隔てた先にあいつがいる。入るなとも入れとも言われていない。のに、足が動かない。
大量の血に埋もれる姿がこびりついて離れない。
ベッドに横たわる姿が蝋人形のように白くなっていたら、俺はどうすればいいのだろう。

「…こんど、さん」

ドアの開閉音に顔を上げると、険しい顔をした近藤さんが立っていた。

「トシ、俺はお前を仲間だと思ってた」

今は違う、ってか。自嘲的な笑みが浮かぶ。
俺には真選組にいる資格なんてない。副長が隊長を斬っただなんて、切腹モンだ。

「それは変わってねェ。いつから仲間になってたのかは覚えてねェが、お前は俺の仲間だ。
だから、いや、だけどか?よく分かんねーけど、お前には後ろばっかり振り返ってもらいたくねェんだ。
出会ったこと、真選組が出来たこと、共に支えてきたこと、どれだって大事だ。けどな、後ろばっか見てたら転んじまうだろ」
「………」
「俺はお前を仲間だと思ってる。だから、」

鉛のように重かった身体が嘘のように軽く動き、病室へと転がり込んでいた。
一つ寂しく置かれたベッドの上に眠っている金の髪。

「総悟、総悟、起きろ」

これ以上寝んなら怒るぞ。どんだけサボれば気が済むんだ、お前は。
たくさん仕事があんだよ。お前がいなきゃ出来ない仕事が。
書類仕事だって出来ないんだ。俺がいないと俺は使い物にならねェんだ。

「さっさと起きろよ、総悟」

起こされて文句を言えよ。渋々起き上がれよ。かったりィつってミサイルぶっ放せよ。
今なら許してやるから、だから、なぁ。

「総悟っ」

頼むから、目を開けてくれ。

「…土方、さん」
「そう、ご…」
「こっぱずかしいマネやめてくれませんかねェ。ヒロイン気取りですかィ?
人がせっかく気持ちよく寝てたっつーのに、人の布団ぐちゃぐちゃにしやがって」
「へ?は?え、何」
「近藤さんから聞かなかったんですかィ?俺ァ三十分前には目ェ覚まして、近藤さんと話してやしたゼ」
「はっ?」

だ、騙された。人のよい笑顔の下に隠された黒い悪戯心がこんな時に出てきたらしい。
心配し損?いや、三十分前ってことはもしかして、今のも全部聞かれ、て…。

「にしても熱烈な告白でしたねィ。お前がいないと生きていけない、ってどこの月9ドラマですかィ」
「って、てめっ、起きてたなら言えよ!」
「だって土方さんがあんなこと言ってくれるチャンス、早々ないでしょう?」
「だ、だからって、テメェ」
「ねェ、土方さん。こっち、来て」

甘く変わった声に背筋がぞくりと震える。そろそろと傍に寄る。

「近付いて、もっと」

ベッドに手を付き顔を近付けていく。
唇が震えて拒否の言葉が告げられない。
低い声が体に染み込んで浸食していく。

「土方さん」

緊張した唇の冷たさは舌の熱さに掻き消され、シーツを掴んでいた手は総悟の服を掴んでいて、貪欲に求め合った。
熱い。ここにいる。目の前にいる。

「っは、ぁ…ん」

耳たぶを噛まれ声が漏れる。熱に浮かされた目を向けると、にやりと口の端が上がるのが見えた。

「土方さん」
「あっ、総悟」

体を包んで飲み込んでいく快楽に身を任せながら名前を呼ぶ。
熱い体は服を捨て、若干の温もりが残るシーツに押し付けられる。

「うぁっ、あっ」

快感に体を震わせ、もっと、と請う。
もっと熱い、生きている証を。

「総悟っ、総悟っ」
「土方、さんっ」

切羽詰まった声に、入口に当てられる熱の塊。
恐れと喜びが同時に訪れる。迎え入れようと力を抜くと、こつんと頭に何かがぶつかった。

「…おりが、み?」
「あぁ、見舞い品の中に、あったんで、折ってみたんでさァ」
「アヤ、メ」
「おや、知ってるんですかィ」
「知ってる、さ。忘れてた、だけ、だ」
「?じゃあ、花言葉なんてのも、知ってやすかィ。アヤメの花言葉はねィ」

もっと、もっと、熱をくれ。
脳味噌を溶かすくらいに熱いのを。

「そう、ごっ、早くっ」
「アンタが誘うなんて珍しいですねィ」
「うぁぁっ…あ、やっ…」

ぐいと押し込まれた質量に汗を掻く。
拒絶しようとする体を歯を食い縛って止める。

『俺はお前を仲間だと思ってる。だから、信じるよ、お前のこと』

「っやぁっ、はっ…っあ」

『アヤメの花言葉はねィ、【信じる者の幸福】なんでさァ』

「あっ、ああ、あうっ」

『信じてくだせェよ、俺が生きてるってこと。思えばそれは本当になるんでさァ。この世界がここに存在するように』

「そ、ごっ…もっ、イ、くっ」

『アンタは自分を信じらんねェかもしれねェけど、俺や近藤さんはアンタのこと信じてやすから。アンタは俺たちを信じればいい』

「そう、ごっ」

『そうすりゃこの世界は決して消えない。だから信じてくだせェ。俺はアンタの心ん中にずっといるから。何があっても』

涙でふやけたアヤメが、ぽとりと床に落ちた。