「……テメェっ…に、してっ」

肩から弾け飛んだ左腕が遠くに転がっている。手から離れた刀も。
押さえても止まることのない液体。ショックのためか鮮やかな色は見えないが、体から抜けていく感覚は確かにある。
刃を向ける銀髪が色褪せながら輝いている。

「なんで、こんなこと」
「土方君、その格好だと危ないよ。右腕がキレイに切り落とせない」

笑顔のまま発せられる残酷な言葉。
昆虫の羽をむしる子供のように、何の疑問も抱かずそれが正しいことだと信じている。
使命感をも感じながら。

「まぁ、平気かな、二の腕は残すし。うん、そのまんまでいいよ。でも動かないでね」

にこっと向けられた笑みに口を開けて呆けていると、視界から銀色が消えた。同時に感じる何かが吹き出る勢い。
左か右か、それとも両方か。右を見やる。さっきまであったものが、ない。
声にならない絶叫が頭の中で響き渡った。





幻想と誘惑の狭間で






程良い塩味がついたスープが、喉に少しの痛みを伝えながら流れ落ちていく。
酸味の効いた薄い赤色をしたスープ。
作り慣れているような、ただ料理に慣れているだけなのかは分からないが。
薄く口を開くとスプーンが液体をこぼさないように慎重に運ばれる。らしくない。

皿に半分以上が残ったまま口をつぐむ。
彼は無理に食べさせようとはせずに、口に合わなかったかな、と笑い、ガチャガチャと食器を片付ける。
トレイに乗せてどこかへ運んでいく。階段を上っているのは分かるがどうしようもない。
階段があるらしい場所は真っ暗闇だし、この体では走ることはおろか、歩くことさえままならないのだから。

足音が近付いてくる。手には赤い十字が書かれた箱が握られている。
するすると巻かれていた包帯をほどくとガーゼをゆっくりと外しゴミ袋に投げ入れる。
洗練された動きは幾度となく繰り返されたことを思わせて、顔をしかめた。
その仕草に彼は勘違いしたようで手の動きを一旦止めた。

「荒療治でごめんね。医者に診せるのが一番いいのは分かってるんだけど、土方のこと奪っちゃうから」

ぼんやりと手慣れた動作で巻かれる包帯を眺める。灰色の世界の中では白さが際立つ。
古くて点滅をしているような蛍光灯では黄に近い色に見えてしまうが。
声が体を通り抜けていく。
どこか遠いところ、異次元か何かから聞こえてくるように酷く現実味がない。

「心配しなくても大丈夫だよ、慣れてるから。昔はこんなことしょっちゅうあったから」

痛くないと言えば嘘になるが、すでに傷は塞がりかけている。
本来ならしなくても支障はない。だが懇願するような目で見られれば断れない。
見たくないのかとも思ったが、単純に化膿する心配をしてるのだろう。彼のいた戦場がいかに不衛生であったか伺える。

「…片腕なくしたヤツには、残った方に刀縛り付けて戦わせた。
両腕のヤツは大抵戻ってくる前に死んじまったけど、生きたヤツは何も持たずに戦場へ飛び出して行った。
敵を殺すことは出来なくとも、仲間の盾となり、日本の礎となって死ぬ。
切腹はさせなかった。俺に、どんだけの権力があったんだろうな」

無理やり作った笑顔が苦しげで目を逸らす。

「アイツらは恨んでる。見捨てた俺を。
その命で助かるヤツがいると説き伏せた俺を。俺は誰も助けられなかった。
…なのに、生き残った」

生き残ってしまったに近いニュアンスで呟かれた、世の不条理を嘆く言葉。

「神様っていんのかなぁ。
人生は神様から与えられた試練だって、乗り越えれば天国に行けるって言うけど、
だって、俺は、絶対に天国なんか行けやしないんだ」

そんなことない、と否定は出来なかった。
万事屋としていくら人を助けたところで、白夜叉としての、坂田銀時の罪は消えないのだから。
もしかしたら万事屋というのも、ただの罪滅ぼしでやっているものかもしれない。

昔であれ今であれ、彼は人々に感謝されているのに。
彼が見捨てたと形容する者でさえ、最後まで戦い、武士として死なせてくれたことを、誇りに思っているだろうに。
過去を忘れろと口にするのは容易いが、それが彼をどれほど傷付けるのか考えると喉は乾いた音しか立てなくなる。

助けられない。無理だと諦め、視界から排除する。一般の意思で本来なら俺が取るべき道。
助けたい。俺のエゴであり、傷付けると同意語。俺が取りたい道。

彼の名を呼ぶ。
かつて呼んでいた呼称は今の彼には束縛の鎖としかならないだろうから、彼の本当の名を。
たった四文字がこんなに重くて、こんなにもキレイだなんて、知らなかった。自分の無知さに涙が出た。


窮屈な部屋をいつしか狭いとは思わなくなり、部屋を世界と思うようになっていた。
耳に痛かった無音に慣れ、どこかに出掛けている彼を待つ時間も苦にはならなくなった。
眠っていた俺を揺すって起こし優しいキスを落とし朝食を食べさせ、階段を上っていく。
何時間か後に階段を下りてくる彼を待ち、再びキスをして眠りに就く。それの繰り返し。

本来なら昼食もいるべきなのだろうが、朝食を半分も残しているのだからいらないと伝えた。
時間の感覚のないここではそれが朝食なのかは分からないが。

バリエーション豊かなスープに飽きることはない。好みのものがあればまた出してくれる。
望むものをくれる暖かくて優しい世界。
ふわふわとした本人のやる気のなさを表したような足音が聞こえる。
やることがなく重くなっていた瞼を擦る。足音が止まる。ドアを開けているらしい。もうすぐ会える。

「ただいま」
「おかえり、銀時」

幸せなやりとり。
をぶち壊す音が耳をつんざく。
爆破音。悲鳴。たくさんの足音。雄叫び。金属音。

「真選組を滅亡させろォォ!!」


しんせんぐみ。


実感を持って迫る言葉。
それは、それが、それを、俺は、それを。
それを守ると決めたのに。

「いいよ、行っても。俺は止めないから」

承諾の声とともに弾かれたように走り出す。
あれほど深かった闇は一瞬で消え失せ、想像でしかなかった階段が実体を持って前にある。
金属の冷たさに怯むが時間がない。温度を直に感じながら、危ういバランスを保って駆け上がる。
早く、早く。
硝煙の臭いが濃くなる。血の臭いも。嫌な感じがする。

久し振りに見た外は光で満ち溢れ目を焼かれるかと思った。
暗さに慣れてしまった目をしばたき、声が聞こえる方へと足を進める。
誰かの呻き声。誰かが自分の知りうる人になる前に。金髪がひるがえった。

「総悟ッ!」

足を止めて振り返る姿を見たのはどれくらい振りだろうか。
顔には隠しきれない疲労の色が出ている。
驚いて見開かれた目があまりに大きく子供っぽくて笑ってしまう。

「土方さん!?何でこんなと、こ…」
「…?どうしたんだ?」

途切れた文に尋ねると、総悟の目はそれをくっきりと写していた。


「……土方さん。その腕、どうしたんですかィ」


開いた瞳孔、驚き、開けっ放しの口、侮蔑、同情、刀を握れない、使えない。

真選組には必要ない。

嫌だ、俺を見るな。そんな目で見ないでくれ。
ただ元気でいるのか確かめたかっただけなんだ、戻れるなんて微塵も思ってなかったんだ。
こんな視線を向けられるために来たんじゃない、会ったんじゃない。違う、こんなの違うっ。

そうか、コイツは総悟じゃないのか。総悟の振りした知らないヤツ。総悟ならこんな目、するはずがない。
お前は誰だ?俺の目の前にいるお前は。俺をこんな白くて怖い世界に引きずり出したのは。
誰、誰。早く安全なあの場所に戻りたい。こんなヤツと一緒になんかいたくない。

「やだっ、いやだぁ」
「土方さん?」
「いやだっ、さわるなっ。うぇっ、ぎん、ぎんっ。たすけてっ、ぎん」

銀色の光は、俺を突き刺ささずに、優しく照らしてくれるから。
その両腕で俺を掴んで、抱き寄せて。

「ぅくっ、ぎん、ぎん、ぎんー」
「もう大丈夫だよ、土方」
「ぎんときっ」

胸に飛び込み、嬉しさに顔をほころばさせる。
笑うと銀時も同じようににっこり笑い頭を撫でてくれる。
髪を梳く指の温かさが気持ちいい。優しい指。俺を守ってくれる。

「旦那ァ、こりゃぁ一体どういうことですかィ」
「ねェ、沖田君はミロのビーナスって知ってる?何であの像が世界中の人に愛されるか考えたことがある?」
「…んなこと考えようと思ったこともありやせん」
「だって、ビーナスったって単なる女性の像だろ?
誰が作ったかとか、どんな状態の女性を描いたのかとか謎はあるけど、それで人気があるわけじゃない。
両腕が欠けているから愛されるんだ。完璧ではなく不完全だからこそ、ミロのビーナスはあんなにも美しい」
「美しいって…それだけのために腕を切り落としたって言うんですかィ?」
「うん、そうだよ」
「土方さんはもう刀を持つことは出来ないんですゼ?」
「分かってるよ」
「分かってない!!その人がどんだけ真選組を大事に思ってたか、守ってたのか!」
「傷つけられて来たのか」
「っ……」
「知ってるよ、俺は。土方が真選組にどれだけ傷つけられてきたのか。
くだらないもの守るために傷を負って、仲間の命を奪っては自分を責め続けるコイツを見て来たから。
ねェ、何でお前らに土方を渡さなきゃいけないの?お前らが土方に何をした?頼って甘えて。
完璧を望まれて、鬼にならざるを得なかったコイツは、誰に頼って甘えるんだ?
お前らなんて、いらないのになぁ」

銀時が笑っている。笑いたくないのに笑っている。なぜだろう。

「でも土方が悲しむから止めてあげる。
けどね、これから土方を悲しませる真似したら、俺はお前らを殺すから」

銀時が睨んでいる。怖い顔、恐ろしい顔。俺には一度だって見せたことのない。

「人は何らかの欠如を持ったものに惹かれる。俺たちは互いに欠けたものを補い合ってる。邪魔するなら許さない」

去って行く後ろ姿が消えたのを確認してから口を開く。

「ぎんとき、なにはなしてたの?」
「土方は知らなくていいよ」
「…おれはのけもの?」
「土方は俺のことだけ考えてればいいから」
「ん」

頬を撫でる手のくすぐったさに声帯を震わせる。
これだけあればいい。他のものはいらない。
この温かさだけ、優しさだけあれば、生きていけるから。

「ぎんとき、あいしてる」
「俺も愛してるよ」

降り注ぐキスは罪を消して、俺を満たす。
愛したい、愛されたい。

「あいしてる、あいしてる」
「うん、俺も愛してるよ」

なのに、永遠に届かない気がするのはなぜ。

「あいしてる、ぎん、あいしてる、あいしてるよ」
「俺も愛してる。なぁ、そんな格好じゃ寒いだろ?帰ろう?」

どこで間違えてしまったのだろう。俺の帰るべき場所は違ったのに。
傷付いても疲れても、この身が果てようとも、いるべき場所はあそこだったのに。
なんでこんなことになった。なんでなんでなんで。

暖かな世界。優しい世界。作られた世界。俺が望んだのではない世界。
俺のいたかった世界が消える。いなくてはならない世界に閉じ込められる。

「土方、早く帰ろう?」

違った。もう、この世界以外で生きることは出来ないんだ。
鳥かごの中で生きることしか出来ないんだ。
カゴの中に入れたのは誰。鍵を掛けるのは誰。

「ひじかた」
「ぎんとき、はやくかえろっ」

近くで鍵の掛かる音が聞こえた。
鍵を掛けたのは、俺だった。