「呼ばれてる」
雑然としたバーの中で呟かれた言葉は目的語を失って変な文になっていた。
そのせいか、日が暮れ始めてかなりの席が埋まって来たバーは静まり返った。
バーに立つオーナー――オトセは古風にも程があるキモノの襟を正し、呆れたように溜め息を吐いた。
「どうしたんだい、一体」
「呼ばれてるんだ、行かなきゃ」
答えているにも拘らず、男の目は何処か彼方を見つめているようで焦点を捉えていない。
「声が聞こえる、行かなきゃならない」
使命でも授かったように言葉を繰り返す。それが義務でもあるかのように。
熱っぽく、何処か狂っているようなさまで。実際バーは客の誰もが身動きせず異様な雰囲気になっている。
にも拘らず、男は目を見開いたまま、頭で考えることをせずに言葉を口から紡ぎ出す。
「行かなきゃならないんだ、行かなきゃ、行かなきゃ」
男にしては珍しく振り乱した様子を見て、オトセは煙草を口に咥えてふーっと白い煙を吐き出した。
煙は男の顔に掛かったが、男は微動だにせず一点を凝視している。
「行きたいなら行けばいい、ここには自由しかねェんだから。アンタの好きなようにしな」
再び吹きかけられた煙で漸く男がのろのろと顔を上げ、無理に口角を上げて笑った。
「行って来る」
コウカセンを歩いて。
「……狂っちまったのかい?」
「この世界はとうに狂ってるだろ?」
自嘲気味に、そして何処か哀しげに笑って男はトランクを手に背を向けた。
行かなきゃいけない。自分に言い聞かせるように唇を動かし、男は足を踏み出した。
えー、ありがちな生まれ変わりパラレルです。荒れ果てた地球での話です。
キャラ達は江戸時代→3Z→金魂→舞台となる時代、という順番で転生しています。
3Z、金魂に登場するキャラは原作に沿っています。(金魂では金さん、新八、神楽しか登場しません)
それぞれの世界においてキャラは少しずつ性格が違い、江戸時代、3Z、金魂それぞれで人生を過ごした、という設定です。
3Z、金魂の人生では、前世について思い出したということは一切ありません。
また、20のお題で連載している3Zとの関連性も一切ありません。まったく別個の3Zです。
3Zでは江戸時代とは違う人物ということを強調させるため、銀さん、土方に対して女性と付き合うといった要素が含まれますのでご注意ください。
また、この話はELLLE GARDENの「高架線」という曲が元となっています。機会があればぜひ聞いてみて下さい。
パラレルもいいところですが、こういうのもありかな、と思って頂ければ幸いです。
名も知らぬ君の元へ
腫れた後頭部を押さえながら、ズキズキと伝わる痛みに眉を顰めて男はハァァ、と息を吐いた。
「変なモン渡しやがってあのババァ」
男の右手に握り締められたものは、木で出来た細長い棒で、ずっしりとした重さがあり、ずっと持っているのは少し骨が折れそうだ。
これからの旅路を思えばこんなの大変の内に入らないのだろうけれど。
きっと役に立つと半ば押し付けられたものを手で持て余す。
エドジダイにブシが使ったものでボクトウと言うのだと教えて貰ったはいいが、そんなことについて知っているのは歴史家の中でも極少数だろう。
現にバーのいる誰も単語の数々を漢字にすることが出来なかったのだから。
今は3019世紀。エドジダイなんて三億年もの前の話。
黒の長袖シャツに黒のズボン、ごつい黒のジャケットにブーツ。
黒尽くめの姿とは対照的に髪は異質な銀色に輝いているが、目は死んだ魚のようにやる気がない。
夕闇に染まる中で男―ギンは足を止めて、髪に手を突っ込みボリボリと掻いた。
「さて、どうすっかな」
勢いに任せて二十年お世話になった町を捨てて来たが、歩き続けて隣町まで来たところで足が動かなくなった。
三時間ほどだから疲れたといえば疲れたのだが体はまだ動かせる。
だが、声が聞こえなくなった。
頭の中で反響していた声はピタリと止み、耳には町の雑音が雪崩れ込む。
カブキ町もこの町も変わらねェな、誰も生きることに喜びを感じていない。ただ生きているだけ。
強いアルコールの匂いに鼻を手で覆うと、必然的に口元まで覆うこととなり、頭の中に声が流れた。
『…また二日酔いですか?』
『違ェって、これは、その、何だ。身体がアルコールを消化しようと頑張ってるところだ』
『思っきし二日酔いじゃねェかァァ!!はぁ、ホスト歴長いんですから慣れてくださいよ』
『んなこと言ってもよー…うぷっ、ちょっとトイレ』
『あと十分で開店ですからね!』
叩き付けられたようにビクリと身体が痙攣し周りの声が一気に聞こえて来る。
自分が誰かと話していた。声だけだったがそれは酷く懐かしさを感じた。
残念ながら自分を駆り立たせた声とは違うものだったけれど、もしや、これは、フラッシュバックとかいうものだろうか。前世の、記憶?
「いやいや、ナイナイ。それはナイ」
怪しい宗教じゃあるまいし、前世の記憶がうんたらなんてただのおかしな奴じゃねェか。
ブンブンと頭を横に振ると目を逸らし続けてきた現実に引き戻された。
宿、探さなきゃいけねェんだった。
と言ってもろくな仕事をしてこなかったせいか(今の時代にろくな仕事なんてのがあったら教えて欲しい位だが)、
財布には微々たる金額しか入っておらず、これからのことを考えると迂闊には使えない。
この旅はとてつもなく長い旅になる。
勘ではあるがそう思ったからだ、自分の勘は鋭い方だと思うし、他に信じるものがない。
でもなぁ、ここらへんって絶対高ェよな、ぼったくりだよなー、でも野宿ってのもなァ。
うーんうーんと唸っているとガッシャァンという音が聞こえた。
音の居所を見れば、いかにもヤクザな格好をした奴が少年を投げたようだった。
ゴミ捨て場にダイブした少年はゆっくりと身体を起こしてずれた眼鏡を直した。
丸い黒縁の眼鏡には皹が入っていて、唇が切れたのか口からは血が流れていたが、少年は何も言わずに立ち上がり男達を睨み付けた。
バカ、んなことしたら。ギンが忠告をするよりも早く少年の体が再び空を舞った。
「オジサン達はね、借りたモンはキチンと返しなさい、って言ってるの。分かるでしょ?」
「シンパチく〜ん聞いてるぅ?」
一人の男が腹を蹴ると、少年は小さな呻き声を上げて顔を上げた。
いい大人が寄ってたかってとも思ったが、いいも悪いもないことに気づいて止めた。
経緯を全てなくせば、金を借りて返さない方が圧倒的に悪いのだから。
「お嬢ちゃん、こんなボロホテルやってても客来ないだろ?とっとと閉めちゃいなよ」
「このホテルは父がずっと前の世代から受け継いで来たものよ!絶対に嫌!!」
「そのお父様が残した借金で苦しんでんだろォ?それとも何か?アンタが身体売るか?」
「………」
エプロンに三角巾をした女は男の言葉に目を逸らしたが、悩んでいるのは顔から明らかだ。
「姉さん、やめてください!僕が働いて払っていきますから!」
「お前が払ってるのは利子だけなんだよ。分かってる?借りたもの返さないのは盗みだよ?立派な、犯罪だ」
男が立ち上がった少年を打とうと手を上げた時、ヒュッと風を切る音がした。突如現れたそれは男の首の横でピタリと止まった。
「ッお前、何のつもりだっ!!」
「偶々通りかかった旅人でーす」
「通り掛かったならさっさと失せな!怪我しても知らねェぞ」
「いやいや、それがねー。オジサン達この少年のしたこと犯罪だっつったじゃん。でもさー、オジサン達がしてることは」
ギンはそこで区切ると顔を上げた。赤く輝く瞳孔の開いた瞳に睨み付けられ、男は体を竦ませた。
「恐喝っていう犯罪なんじゃねェの?」
こんな腐った世の中でも法律は生きている。治安が悪くなるに連れ収容所の檻は頑丈になっている。
今では飽和状態となったためか、檻に入れない処罰の方が多くなっている、なんて実しやかな噂が流れているくらいだ。
「オジサン達、檻に入れたらいいね」
にっこりと微笑めば、チッ覚えてろよ!と一体何億年前の悪役だよなんて思いながら見送り、ボクトウを下ろした。
まぁ、確かに役に立ったわな。トランクに入らなかったおかげですぐに振るうことが出来たし、
遣い方はよく分からないが、バッドや鉄パイプのように使えば相手を気絶させるだけの威力は持っていそうだ。
「あ、あのっ」
「ん?」
ボクトウを眺めていると、少年が汚れた顔をこちらに向けていた。
「助けてくださってありがとうございますっ。悪徳な金貸し屋で困ってたんです。何かお礼を…」
「あー、ものはいらねェや、荷物になっし」
「え、でも、それじゃ…」
「だからさ、泊めてくんねェ?今日の宿取ってねェんだ」
片目を瞑って言った申し出に対して、少年は微笑んで、姉さんお客さん一人!と元気のいい声を上げた。
通された部屋には簡素なベッドと机と椅子が置いてあり、小さな電球が部屋を懸命に照らしていた。
「すみません、あの人達が来てからお客さんが全然来てなくて…」
言われて見れば机の上にはうっすらと埃が溜まっている。シンパチは部屋の置くまで進み、灰色の分厚いカーテンを避けて窓を開けた。
肌寒い風が部屋を浄化するかのように流れ込み体が震えたが、すぐに寒さなんて頭の中から消えてしまった。
「すげェ……」
「でしょう?ここからの夜景はすごくキレイなんです」
三階というそこまで高いわけでもないのに、向き的にいいのか邪魔をする建物がなく、下にはネオンが、上には空一杯の星が煌いている。
正に声が出なくなるほどの美しさ。
見つめていると暗闇が自分を多い尽くし、周りには無数の星が光る。
一面が闇であるにも拘らず心地良くていつまでも包まれていたいほど温かい。
「…あの、風邪を引いてしまうので閉めますよ?」
「あ、あぁ、うん」
現実に戻され、そこまで自分は見惚れていたかと驚く。夜空見上げたのなんていつ振りだっけかなァ…。
「あ、名前聞いてもいいですか?僕はシンパチです」
「俺はギンだ」
「じゃ、ギンさん、夕食食べましょうか」
ちょうどタイミングよく、ぐぅ、と腹の虫が鳴いて、二人して苦笑して階段を下りた。
「ぷっはー、生き返ったー」
「………」
「………」
「ん?どした?」
「つかぬことをお伺いしますが、それは、何ですか?」
シンパチは舐めたようにピカピカになった食器、ではなく、コピーカップを指差した。
真っ白な陶器の中には焦げ茶色の液体を入れたはず だった。十秒前までは。
いまや白に近い薄茶色となったコーヒーに、ギンは砂糖をスプーン山盛りにして何杯も入れていく。
一、二、三、 四、五……全部入れやがった。
シンパチの頬が引き攣ったのを気にも留めず、ジャリジャリと音を立てるコーヒーをスプーンで掻き回して ギンは口に付けた。
「ん、うまい」
「アンタどんな味覚してんのォォ!?つか体に悪過ぎですから!!そんなことしてたら早死にしますよ!」
シンパチが盛大に突っ込んだ姿を見ると眼前が真っ黒になった。
『そんなに甘いモノばかり食べて…仕事続けられなくなりますよ?他に当てないんでしょう?生きていけなくなりますよ』
『いーの、いーの、俺は太く短く生きる主義だから』
『そんなに甘いモノばかり食べて…入院でもしたらどうするんですか?仮にも――が』
『いーの、いーの、俺は太く短く生きる主義だから』
『そんなに甘いモノばかり食べて…早死にしますよ?』
『いーの、いーの、俺は、』
「ッ、ハッ、ハァッ…」
胸元の布を握り締め荒く息を吐く。胃の中のものが逆流しそうな感覚に目を瞑る。
今までだって覚えのない会話が聞こえることはあった。
だが、こんなに長く、同じ言葉を繰り返されるのなんて初めてだ。
話し掛けているのはどれもシンパチなのだろうけれどどこか雰囲気が違った。
「わけ分かんねェ…」
「…あの、大丈夫ですか?」
見ればシンパチが恐る恐る動きを窺っていて、あ、悪ぃ何でもねェよ、と答えて額に流れた汗を拭い取ったところで机の上に零れたコーヒーに気が付いた。
あー、勿体ねェ、何日振りの甘味だと思ってんだよ…。
変な現象に悪態を吐きながら布巾を借りようとすると、突然視界に現れた手が布巾で零れたコーヒーを拭いた。
顔を上げると、仏の振りをした般若がいた。
「お前、砂糖の高さ分かってんだろうなァ?」
「すみません、ほんっとすみませんでした」
助けてやったのに…と思いながら机に擦り付けるように頭を当てて謝ると、黒いオーラはどこへやら、優しい声が降り掛かった。
「いいです、許します。まだ何も思い出してないんでしょう?」
「思い出す?アンタは何か知ってるのか!?教えてくれ!意味が分からねェんだ!!」
「…何のことかしら。私はこのホテルのオーナーのタエですわ。ただの一人の女」
笑った顔は明らかに何かを隠していたが、探るのは止めにした。こういうヤツは聞けば聞くほど口が堅くなる。
「あー、俺はギンだ。世話になる」
諦めて会釈をすればタエは微笑んだ。根は優しいやつなのだろう。
親から譲り受けたホテルを自分の身と引き換えにでも守りたいと思っているのだから。
「シンちゃんを助けてくださったみたいですし、気にしなくていいですよ。でも」
でも、と不穏な打消しの言葉に引っ掛かり、上目でタエを見ると、にっこりと微笑まれた。
「この砂糖分は働いて返せや」
優しさは、時によっては残酷だ。
人信じんのやめよう、うん。過去に戻れることなら戻りたいと思った。
ぶる、ぶるるるる。手を回すたびに車体が揺れて心地良い音が響く。
スクーターと呼ばれるバイクは乗る人がいなかったためか埃を被っていたが、雑巾で拭いてみれば真っ白な車体が現れた。
「よしよし、ちゃんと動くな」
コンコン、と問い掛けるように叩きながら点検していくと、動きが鈍いところもあるがかなりいい状態のもので、打ったら結構な金になるんじゃねェか、なんて不埒なことを思ってしまう。
「ギンさん、運転出来るんですね」
「免許はねェけどな」
「え?」
「こんなん、その辺に捨てられてんのを弄ってれば動かせるようになるだろ」
「で、でも免許ないって…」
「ここは無法地帯だろ?」
告発すれば法で罰せられる、それは当然だ。けれど実際には政府なんてものは何もしない、見ようとしない。
厄介ごとは面倒だから持ち込むな、の精神だ。
「……じゃあ明日の朝から、これお願いします」
「おぅ」
軽く返事をして輪ゴムで止められた紙の束を受け取る。
小さな長方形を下厚紙は黄、ピンク、水色とさまざまな色が混じっていたが、そのどれにも同じ印刷がされている。
ホテルの宣伝だというが、本当に効果があるのかは分からない。タエに起こられた区内から引き受けるだけだ。
それに、一泊だけではなく数泊はお世話になる予定だったし、配布している時に仕事を見つけられればお金も溜まるし、一石二鳥だ。
「家に適当に突っ込んでくりゃいいんだろ?」
「一つの家に一枚ですよ?」
「わーってるって」
んな姑息な手は使いません、と両手を上に上げるとシンパチは不審な目を向けた。
「明日は僕が後ろに乗りますから」
アレ?会って初日だから信じられてねェわけ?
軽くショックを受けながらスクーターのエンジンを切って、置き、三回までの階段に溜め息を吐いた。
日頃運動不足だからなァ。一段ずつゆっくりと登っていくと後ろから、違いますからね、と声が聞こえた。
「アンタのこと信じてないって訳じゃないです。いい年した大人が迷子なんて目が当てられないだけですから」
「………わーってるって」
頭をボリボリ掻きながら同じ言葉を言えば、シンパチが微笑んだのを空気で感じた。
信頼された、のかねェ?照れ臭くて口元がほころびそうになるのを必死に他のことを考えてやり過ごす。
ビラ配りやバイト探し、そしてあの声と変な現象。
……SFチックだなァ。この頭ではどうにも理解出来ない。まぁ、今夜はおとなしく寝よう。考えるのは明日でいい。
明日は明日の風が吹くさ。
太古の人が言った言葉がまさか現実に起きるなんて、その時のギンは思いもしなかった。
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