〜幸せと苦労の量って比例しないよね〜





パン、と布を引っ張り握った拳を上げて大きく伸びをすると急に眠気が訪れた。
首を動かすとぽきぽきと鳴る。何時間も同じ姿勢でいたからしょうがないこととは思うが。
干された洗濯物が旗のように連なっている。風はないからはためくことはないが、壮観だ。

「…寝るか」

三十人以上もの洗濯は時間が掛かり、既に時刻は二時を回っている。
洗濯機があるだろうと思えば壊れていて、直すために回す金がない、とのことで、洗濯板と桶を用意して洗う羽目になったのだった。
嫌がらせだ、確実に嫌がらせだ。ぶつぶつと愚痴を言いながら廊下を歩いていてハタと思った。

「部屋は、どこ、だ?」

理不尽な頼みを言いつけて(頼みというより脅迫だった)、二人は姿を消してしまったから、土方の部屋の場所など分かるはずがない。
組織の二番手となれば自然個室があるはずだが…。
桂はそこまで考え、足を止めた。迷っている姿を見られるのはマズイ。
言い訳をしてもそのうちぼろが出るのは時間の問題だ。だからといって廊下に寝るのは論外だ。
一体どうすれば、と嗜好に耽っていると、身近で物が引き摺られる音がした。
ハッと身体を構えると、開いた襖の所にいたのは沖田だった。
癖でつばに掛かった手を外し息を吐いた。

「いい所に…」
「夜中に何してんですかィ」
「お、お前らが洗濯をしろと言ったから」
「ああ、本当にやったんですかィ。生真面目ですねィ」
「なっ…」

怒鳴りつけたい衝動に駆られたが、寸での所で踏み止まる。
騒ぎになったら大変だ。ハア、と肩を下げて深呼吸をして心を静める。

「…俺の部屋はどこだ」
「俺?あぁ、土方さんの。隣でさァ」
「は?」
「だから隣でさ。こっち」

沖田が指差したのは自分から見て左の部屋で。
つまりは沖田の隣が土方の部屋、らしい。
よく見ればここの一角だけは襖が大きくなっている。
隊長格以上の部屋がここに集合しているのだろう。気付かないほど、眠気と疲れが溜まっているのか。

「そうか、ありがとう…」

眠いと思うと急に眠気は来るもので、力を入れても瞼は徐々に下がっていく。
ゆるゆると歩みを進めるとガクッと身体が大きく揺れた。
振り返れば、右腕を沖田がしっかりと握っていた。

「何だ。俺は早く寝たいんだが」

今日は、起きた時から不可思議な事が怒っているのだ。
渦中にいる時は気が付かなかったが、随分と疲れが溜まることばかりだった。
放さないなら振り払ってしまうか。
腕を動かそうとしたちょうどその時、沖田が右手を手に乗せ、彼にしては珍しく、嫌悪の表情を顔に表した。

「荒れてますねィ」

洗濯をしていたのだから当たり前だ、と言う前に薬持って来まさァといわれ拍子が抜けた。
手荒れのために薬!?腹黒い性格とは裏腹だと思いながら、昼間の言葉がリフレインする。

『好きです』

嫌がらせなどではない。嫌がらせならあんなにも切なく哀しい声など出せない。
彼の気持ちは本物なのだ。土方を前にすれば言わずにはいられないほどの思い。

「手、出して下せェ」
「あ、ああ」

両手を前に出すと手錠を掛けられるようでいい思いはしなかったが、沖田は気にも留めずに箱の中に入った薬を掬っては指一本一本に丁寧に塗りこんでいく。
伏せられた目から優しさが垣間見えて、桂は見てはいけないものを見たかのように目を逸らした。

本当に好きなのだ。
きっと、ずっと降り積もって、積もり過ぎて口に出せなくなってしまった。
俺より、もっと大きな、深い思い…。

「これでいいですかねィ」
「あ、ありがとう」

手を擦り合わせると塗られて薬が肌に染み込んでいくようだ。指のかさつきも治まっている。

「傷付けねェで下せェよ」

沖田の言葉に目を見開いた。だがすぐにその意味を理解し、視線を下に移した。
彼はこう言っているのだ、土方の身体に傷をつけるな、と。

「……ああ、分かった」

スルスルと閉められた襖を見、沖田は寂しげというには少し違う表情を見せた。
だが、割り切ったのか顔を部屋に戻し襖を静かに閉めた。
ああ、間違えた。間違えを正すにはまったくそぐわない棒読みでそう言うと、沖田は目を伏せた。

「アンタはもう、傷付いてる」

視線の先にいるのが誰かは、彼自身以外誰も分からない。



目覚ましは、爆音でした。

黒い煙が立ち込め、風によって消えたかと思えば、ぽっかりと穴の開いた障子が目に入った。
まだ、夢の中なんだな。うんうんと頷いて布団に潜り込もうとしたが叶わぬ夢だった。

「おはようございます、土方サン」
「………おはよう」

額に標準の合ったミサイルを手で退けながら布団から渋々這いずり出る。
近所迷惑な音がしたのに誰も出て来ない所を見ると、これは日常茶飯事らしい。
沖田がミサイルを放つのはよく見かけていたが…。この後を考えてうんざりしながら欠伸をした。

「もうすぐ朝食なんで、隊服に着替えて早めに来て下せェ」
「分かった」

夢だったら良かったのにな。何となしに頭に手を当てた時に感じる短い癖毛は明らかに自分の物ではない。
一晩寝れば戻る、とはいかないか。
本格的に戻る方法を考えなければならないな。
まぁ、今は「土方十四郎」としてそつなく過ごすのが一番か。
寝巻きを脱ごうとして止まった。青空と、塀と、廊下が見えた。

「………」

…さすがに、無理だ。いつ人が通るかも分からない場所で着替えなど出来ない。
几帳面な性格もあってか、障子がない部屋で着替えるのは桂には到底出来ることではなかった。
考えあぐねた末、隣の部屋をノックした。

「…何ですかィ」
「その、何だ…着替えさせてくれ」
「……ああ」

ポン、と分かりやすい動きをした沖田に対して青筋が一本立ったが、堪えて部屋におずおずと入る。
毎日こんな調子なのか、コイツは…。胃炎にでもなりそうだ。大変だな、土方も。
そこまで考え、元に戻るまで自分がその対象になっていることに気付き、更に気分が下がった。

ハア、と小さく溜め息を吐いて、帯に手を掛け、スルスルと解いていく。
ぱさりと浴衣がたたみに落ち、シャツ、ズボン、ベストと着ていく。
普段が和装のために随分と面倒臭く、窮屈に感じたが、動きやすさや、
少し型は違えど全員が同じ物を着用するのも組織として一体感を得るためにはいいのだろう。
今では黒い服=真選組となっているから、知名度を上げるのにも役立っているのだろう。

それに、黒色は…。目を瞑れば、今さっきのことのように、昔のことが思い出される。
熱気、叫び声、金属のぶつかり合う音、呻き声、乾いた地面、舞う砂、吹き付ける風、飛び散る赤い――。

黒色は、返り血が目立たない。

思えば自分も好んで黒色を身につけていたように思う。

「まだですかィ?」
「あっ…」

感傷に浸っている場合ではなかった。
後ろから聞こえた声に促されて慌てて上着の袖に手を通し、スカーフを手にして固まった。
必死に記憶をひっくり返すが思い出せない。
どうやって巻くんだ…?
とりあえず首に掛けてみたが、現状は打破されない。癪だがしょうがない。
頭を下げようと振り返ると、極自然に沖田の手が首元へ伸ばされた。

「え?」
「結べないんでしょう?」

慣れた手付きで結んでいく姿は、自分が思い描いていた姿とはかなり違っていた。
嫌がらせをしたり、優しくしてみたり、よく分からない奴だ。

「はい、出来ましたゼ」
「ありがとう、沖田」
「…総悟でさァ、桂」
「あ、すまな」

い、と言い終わる前に背けられた沖田の耳が赤く染まっているのに気が付き、口が開きっぱなしで閉じることを忘れてしまった。
言葉を出そうにも声にならなそうで、先行ってまさァ、との言葉も、ただ耳を通り過ぎて行くだけで。

「いやいや…。まさか、な?」

おそらく礼を言った時の笑顔が原因で。
おそらくそのせいで耳が赤く染まって。
おそらく。それは予測でしかないけれど。訂正を直した後に呟かれた名前から考えるに。
おそらく沖田は自分のことを好いているらしい。それも好き嫌いで分けられる方ではない。

「……なんでこうなるんだ?」

呆然と呟かれたこの言葉が、後、何度も言う嵌めになるとは、桂は気付いていなかった。










つまりは、沖→土が沖→桂にもなった、ということで。
土方と桂だけでなく、銀さんも沖田も魔法に掛かって、どっちが好きだか分からなくなっている状況。
魔法は更に感染していきます。