※史実の話を真選組に置き換えた、沖田結核ネタです。
※「燃えよ剣」の影響を多大に受けています。と言うより、「燃えよ剣」の数行から膨らませた話です。
(伝説としてこういう話が伝えられている、ということなので史実と言うには違うかもしれません)










庭に一匹の黒猫が現れた時、沖田は脳裏にある人物の顔を浮かべた。
野良猫のように奔放で、わがままで、気高く、素直じゃない、彼の顔を。

「まさか土方さんじゃないですよねィ?」
「みゃぁ」
「…土方さんだったらこんな可愛らしい鳴き声上げねェや」

沖田は口角を上げたが、筋肉も肉も落ちた頬では、微笑にしかならなかった。
布団から手を伸ばすと黒猫はすたっと縁側に上り、沖田の傍に近寄った。
毛並みを撫でて、今は遠き地にいるであろう人を思った。

「土方さん」

喉をくすぐると、黒猫は嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らした。



黒猫のレクイエム



ぼんやりと部屋を見ていると、二人の顔が思い出された。
土方さんとはここに来るまでの船に乗る時から会っていない。
近藤さんは同じ船に乗っていたけれど、近藤さんが怪我をしていたのであまり話せなかった。

山崎は伏見の戦いで負傷し船上で亡くなった。水葬される時には、近藤も沖田も怪我、病気を押して甲板に出た。
海に吸い込まれていく姿を見て、こんなのは山崎らしくないゼィ、と悪態を吐いたのを覚えている。
一抹の羨望と嫉妬があったのだと思う。自分は誰にも看取られないのだと分かっていたから。

もう、人の顔を随分と見ていない。

「近藤さん、土方さん。まだ、生きてますよねィ」

沖田は近藤が斬首されたことを知らなかった。
この家には沖田一人しかいなかったから、そういった風の便りを知らせる者もいなかったからだ。
残りの時間の短さを思い、沖田は息を吐き出した。

「うにゃあ」

庭から声がした。見やると既に猫は部屋の中まで入って来ていた。
世界との繋がりが絶たれた部屋での唯一の支えとなっているのがこの黒猫だった。
最初の内は週に一度ほどしか来なかったが、今では毎日訪れている。

「お前、土方さんみたいだねィ」

あの人も俺が寝込んだら何回も見舞いに来てたなぁ。
結核が移ると言っても聞かないで、毎日毎日顔を見に来た。
どこで手に入れたのかも分からない薬を押し付けては飲め、飲めと言っていた。
『こんな怪しげな物飲めますかィ』と言ったら、
『お前じゃねェんだから、これは普通の薬だ。それに俺が利くと言ったら利く』と強情に説き伏せられた。
他にも薬はあったが、飲んでいるのは土方さんから貰った物だけだ。
自信満々な態度がまだ頭に残っていて、見舞いに来ない今でも、
しょうがねェな、そこまで言うなら飲んであげまさァ。と恩着せがましく言いながら薬を喉に押し込んでいる。

「…会いてェなぁ…」

呟くと黒猫がするりと腕に頭を擦り付けていた。

「慰めてくれんのかィ?」

自嘲気味に言うと猫は再び頭を擦り付けた。


毎日布団に潜って寝ているような日常だったが、その日は何故か深い眠りに就いた。
夢を見た。
芋道場と呼ばれた汚いボロ道場で、近藤さんと土方さんと、一緒にいる夢だった。
自分はとても小さくて、二人を見上げるのに頭を上に上げるのが面倒だったことを覚えている。
今ではかつてほど上げなくてはいいだろうけれど、それでも身長差はある。
髪の長い二人に懐かしさを覚えながら、幼い自分は二人に近寄った。

「総悟、全然食べてないじゃないか。お前は育ち盛りなんだからもっと食べなきゃ駄目だぞ」

そう言えば、食事をあまり取らない時があった。
反抗期と言うべきか、人の言うことを聞くのがたまらなく嫌だった。

「お腹が空かないんでさァ」

嘘を吐けば近藤さんはハァと溜め息を吐き、隣に視線を動かした。
長い髪を後頭部でまとめている、若い土方さんに。
ふとその髪に触りたくなって手を伸ばしたが、幼い自分はぴくりとも動かなかった。
夢ってのは面倒臭ェ。舌打ちをして、沖田は土方と目を合わせた。

「総悟」

小言を言われたらアンタは姑ですかい、と返そうと思っていた矢先に、抱き締められた。
近くで見る土方さんは記憶のままで、いや、記憶の中よりも美しかった。

「ちゃんと食べろ。お前には未来があるんだから」

未来。自分の身体を思い浮かべて噴き出しそうになった。
そんな物、当の昔に捨てて来た。
幼い自分も笑っているのか、土方さんの眉間に皺が寄った。

「俺は真面目に言ってるんだぞ」
「はいはい、分かってまさァ」
「総悟!!」

耳元で怒鳴られ驚いて目を閉じた。
鼓膜にまだジーンと響いて、痛みが伴う。
瞼を開ければ真剣な表情をしている土方さんと目が合い、一瞬、息が止まった。

「…総悟。お前には、まだ、未来があるんだ」

苦しげなその顔に、ぎゅっと身体を抱き、小さな手で頭を掴んだ。
肩に頭を乗せ温もりに身を任せた。

「分かりましたよ。食べま」
『俺と違って』

言葉を遮られて無感情に出された言葉に身体が硬直する。
道場にいた頃、土方さんは確か十代だった筈だ。未来がない、などと言う訳がない。
背中を嫌な汗が伝った。

触れていた髪が解け、短くなり、服の材質が変わった。
真選組の隊服。沖田は懐古の念を覚えて、見ようと土方から少し身体を離した。
そして気付いた。
温もりが、零れ落ちていっていることに。

「土方さん!?」

顔面は真っ青で、目からは生気が失われていく。
怪我を探そうと身体を触って、でろ、と手に纏わりついた。真っ赤な、血が。

「―――――!!」

声にならない悲鳴を上げて、沖田は闇雲に土方に抱きついた。
抱き締める力はどんどん強くなったが、土方は文句も何も言わない。
冷えていく身体が怖くて、少しでも温もりを留めておきたくて、沖田は必死にしがみついた。

「土方さん、土方さんっ!!」

抱き締めても、叫んでも、現状は変わらない。
恐慌状態に陥っていた沖田は、土方の唇が微かに動いていることに気がついた。

「何ですかィ、何が言いたいんですかィ」

口からはひゅぅ、ひゅ、と息が漏れるばかりでまったく分からない。
けれど沖田は諦めず、唇の動きを自分で真似た。

「い。い、お。い、い、ろ。生き、ろ…」
『生きろ』

脳に直接声が聞こえたようだった。
ハッキリとした声が木霊して、沖田は口を開いたまま、呆然としていた。

「嘘、だろ?」

アンタが、死ぬ筈が、ない。
殺しても死なないような男だ。
嘘だ、これは嘘だ。違う、これは違う。
嘘だ嘘だ嘘だ違う違う違う違う違うッ。
最早何が嘘なのか、何が違うのか、何を指しているのかも分からぬまま、沖田は叫び続けた。


くたり、と身体に重みが掛かった。

「土方さん?」

揺すっても返事がない。

「土方さん、起きてくだせェよ」

沖田は問い掛ける。

「俺、土方さんがいないと何も出来ないんでさァ。だから早く起きてくだせェ」

揺さぶりが大きくなる。ぐい、と押すと頭がぶらんと後ろに垂れ下がった。
白い喉元、白い顔。まるで人形のような顔。
ぺちぺちと頬を叩いても微動だにしない。

「土方さん、起きてくだせェ。起きてくだせェよ!!」

がくがくと揺さぶるとコツ、と背中に回していた手に何かが当たった。
頭を向けてみれば、白い物が見えていた。顔を戻せば至る所から骨が現れている。
肉が消えていく身体を掴み、力一杯、抱き締めた。
俺のこと怒ってくだせェ。そして、しょうがねェなぁ、と微笑んでくだせェ。

「土方さんッ!!」

ぽたり、と水が落ちた。


「っは、はぁ…はぁ」

天井が見えた。
見慣れてしまった天井がここを現実だと、今までのことが夢だと教えている。

「ゆ、め…?」

夢以外にありえないのだが、あまりにもリアルな感触に手を握り締めた。
土方さんが死ぬ夢なんて縁起でもない。
汗で冷えたのか、身体をぶるっと震わせると、縁側に影が見えてハッとした。
咄嗟に刀を掴んでいた。

「何だ、お前か」

黒猫だと分かると沖田は刀を床に置こうとした。
が、いつものように甘えた声を出して寄って来るわけではなく、黒猫はじっと沖田を見つめている。
黒い毛に覆われた姿、闇のような黒い瞳が不意に鳥肌を立てた。

「…一体どうしたんでィ」

声を掛けても黒猫はそこから動かずに沖田を見つめている。
不気味な姿だった。
頭に浮かんだ彼の姿と、そう、不気味なほどに合ってしまった。
土方さんが黒猫になって来たのではないかと信じ込んでしまえるほどに。

「お前は土方さんじゃない!!」

金切り声のような声を上げて、総悟は刀を左手に握ったまま、床を這いつくばった。
ずるずると近付いても黒猫は動かない。

「斬ってやる、斬ってやるッ」

夢のせいか狂乱状態に陥った沖田は目に殺気を宿らせたまま黒猫を睨み付けた。
黒猫は落ち着き払ってその様を見ていた。化け物のように。
縁側に出ると黒猫は軽やかに庭へと飛び移った。

「斬ってやるッ」

斬る。あれは土方さんじゃない。だから斬る。
沖田の思考にはそれしかなかった。
斬れば、土方が死んでいないと納得出来るからだろうか。
土方が死ぬなど、夢であっても沖田には耐えられなかった。
道場に突如上がりこんだあの時から、土方がいない人生など考えられなくなった。
唸りながら沖田は刀を抜こうと柄に手を掛けた。途端、胸に鋭い痛みが走った。

「っげほ、がっ……」

着物の胸元を握り締めるが痛みは引かない。引かないどころか強まっていく。
これは、きっと、さいごだ。
直感だが沖田は分かっていた。これが生涯最後の痛みとなることを。
沖田総悟も、これで終わりか。
薄れ行く意識の中で、黒猫を斬れなかったことだけが心残りだった。
一番隊隊長、通称斬り込み隊長、沖田総悟がこのざまか。

『総悟は俺よりもトシよりも強くなったな』

近藤さんがそう言って頭を撫でてくれたのはいつだったろうか。
うつ伏せたまま感覚がなくなって来た手でぎゅっと握り締めた。
すたりと黒猫が縁側に上ったのが、ぼやけた視界で見えた。
ぺろり、と目尻を舐められ、自分が泣いているのに気付いた。
悔しいんだ、自分は。この小さな命さえ斬れないことが。いや、自分の命だって小さい物だ。
沖田はそっと微笑んで目を閉じた。


真っ白な世界にいた。
自分は真選組の隊服に身を包んでいて、名前を呼ばれた気がして振り返ると、そこには、近藤さんと山崎がいた。
二人とも自分同様真選組の隊服を着ており、山崎はラケットを持っていた。
信じられなくて二三度瞬きをすると、がははっ、と豪快に笑われ、頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。

『よく頑張ったな。もう休んでいいんだぞ』
「近藤さん」
『お久しぶりです。隊長』
「山崎。……土方、さんは…?」
『トシは仕事熱心だからなぁ。休まずに頑張ってるよ』

まだ、土方さんは、生きている。

うぅぅっ、とくぐもった声を上げて近藤さんの服を掴み、顔を押し当てた。
頬を温かい液体が流れているのが分かったが、止める気はなかった。

『総悟、お疲れ様』

返事を返すことは出来なかった。
土方さんが生きていることがただ、ただ、嬉しくて。
あの人は、まだ戦っているのだということが。
土方十四郎として、真選組のために、幕府のために、そしてきっと、自分達死んだ者のために戦っていることが。

『土方さんっ、』

ありがとう、ありがとう。
感謝の言葉は伝わらないけれど、沖田は嗚咽を漏らしながら言い続けた。
願うように、祈るように、歌うように。

土方さん、ありがとう。










「みゃああああ」

黒猫が、ないた。