「別れましょう」
瞬時にその言葉の意味を理解することが出来なかった。
驚きから煙草が床に落ちたのも気付かなかった。
目の前の男は首を傾げて茶髪を揺らした。
「聞こえやせんでしたか?別れましょう、って言ったんでさァ」
「…なぜ、だ?」
喉から絞り出した声は掠れていた。
答えが分かっている質問を問う俺は、何ともみっともない。
「あんたは、俺を見てくれないでしょう?」
ああ、この男は分かっている。
全て知った上で、一緒に居たのだ。
愛の言葉を囁きながら、人を近付けないようにし始めたのはいつだったか。
優しさなんていらない。その温もりが消えてしまう日が怖いから。
俺は酷く臆病で、寂しがり屋で、甘えん坊で、人に縋らないと生きていけなくて。
でも、そんな情けない生き方、俺は望んでない。
傍に誰かがいればよかった。
その間は、弱い自分に向き合わなくてすんだから。
「さようなら、土方サン」
ドアの向こうに消えていく彼の後ろ姿を眺める。
振り返ることはない。いや、振り返るな。
彼が嫌いだと言えば、嘘になる。愛していると言っても嘘になる。
けれど、この胸に響く痛みは、本当だと信じたい。
今更、本当に今更、気付いたんだ。
「……好きだっ」
彼に愛されたいと願う訳でもないし、彼との関係を修復する気もなかった。
この気持ちは、友情だったのか、恋愛だったのか。
いまいち判断はつかないけれど、青春の過ちということにしておこう。
小さな温もりを離す時が、偶々今、訪れただけだ。
頬を風が打つ。随分と寒くなった。
屋上から空を仰ぎ見れば、灰色に濁った空が広がっていた。
まるで俺じゃねェか。自嘲して煙草を銜える。
紫煙が立ち昇り、曇り空に消えていく。
もうすぐ冬の季節が来る。寒いのはその所為だ。
頬を流れる水が蒸発する際に冷たくなっている訳ではない。
「サヨウナラ」
じゅっ、と抵抗の音を立てて、煙草の火が消えた。
笑顔製造者
半分以上残ったコンビニ弁当。飲みかけのペットボトル。
カラフルな棒付き飴。割り箸。ビニール袋。
散乱した部屋で体育座りをして顔を伏せる。
学校はサボってる。あいつに会いたくない。
うまく避けてくれるかもしれないが、されるという事実が気に食わない。
着替える気も起きなかった為、ずっと来ている学ランは埃に塗れて、ズボンの膝は濡れている。
コンコン。
勧誘のようにうるさくもなく、学校の女子のように恐る恐る小さく叩く訳でもなく。
程好い大きさの音が耳に届いた。
悪い奴ではないだろうが、運が悪い。こんな顔見せられるか。
居留守を決め込もうと上げた顔を前の位置に戻し、無視をする。
コンコン。
コンコンコン。
コンコンコンコンコンコンココン。
「うっせェ!!ったく、はいはい、どちら様?」
投げやりに返事をしながら、尚も続くノックの音に観念して立ち上がり、重い身体を玄関まで引き摺る。
鍵を開けてドアを開く。目に飛び込んできたのは、銀髪の、やる気のなさそーな顔だった。
「特に大した名前じゃない、ラフメイカーとでも呼んでくれ。
あんたに笑顔を持って来た。寒いから入れてくんねェか」
ぽりぽりと頭を掻いた奴を見て、バン、と勢いよくドアを閉めた。
ラフメイカー?ふざけんじゃねェ。そんなモン呼んだ覚えはない。
おーい、おーい、とドアの向こうから聞こえる声を無視して、鍵を閉め、チェーンを掛ける。
「さっさと帰れ!!」
怒声を投げつけると声が止んだ。
消えてくれ。お前がそこにいたら、泣けないじゃないか。
走ってベッドにダイビングして、真っ白なシーツを手でぐしゃぐしゃにして、顔に押し当てた。
こんな俺も消えちまえばいいのに。
コンコン。いつの間にか瞼を閉じてしまっていたらしい。
うつ伏せで寝ていた為か、口元に乾いた涎が広がっている。
白くなった涎をゴシゴシと手の甲で擦ると、一気に不愉快な気分になる。
あいつ、まだ居やがったのか。
両手を組んで丸まっていた背中を伸ばし、ドアへと近寄った。
穴から覗いてみれば、人ん家の前に堂々と座っている銀髪が見えた。
ふうう、と溜め息を吐いた。信じらんねェ。
「おい、消えてくれって言っただろ」
「き、消えてくれ?そんな酷い言葉を言われたのは初めてだ。どうしよう、泣きそうじゃねェか」
ハァ!?知らねェよ。
お前、ラフメイカーなんだろ?お前が泣いてどうすんだ。
ずずっ、ぐすっ、とした大の男とは思えない泣き声が聞こえてくる。
こんな訳の分からない奴に振り回されて、泣きたいのはこっちの方だ。
ドアに背中を預けると身体の力が抜けて、ずりずりと落ちていく。
玄関に尻を付けて、今度は隠さずに声を上げて泣いた。
二人分の涙が地面に吸い込まれていった。
滝のように流れ落ちる涙が止まって、しゃっくりが尾を引いた。
トントンと拳で胸を叩き、唾を飲み込んだ。
「なあ、今でも俺を笑わせる気でいるのか?」
「生き甲斐なんだ。笑わせなきゃ帰れない」
「そこまでする程の物か?ボランティアならお前に得はないだろ?」
「……俺は、今まで笑顔を奪って来た。だから、今度は俺が笑顔を作らなきゃいけねェんだ。
…一人だと偶にきつくなるけどな」
ドアの向こうで困ったように微笑んだのが伝わって来た。
部屋に入れてやってもいいと、思えた。
口に出そうとしたらしゃっくりが出て、気付けば声を出していた。
「俺なあ、つい最近、別れたんだ」
「………」
「何となく付き合ってたんだけどさ。
いなくなってから、あいつのことが好きだった、って分かったんだ。
俺って馬鹿だよな。結局の所、俺はあいつを自分を守る為に使ってた」
名前すらも知らない彼に何故こんなことを話しているのかは分からなかったが、口は止まらなかった。
自分の中で渦巻いている気持ちを吐き出したかったのかもしれない。
「こんなんじゃ、振られるのは当たり前だよな。
あーあ、誰か、隣にいてくれる奴がいればいいのにな」
「出来るさ。人間は一人じゃ生きていけねェモンだからよ」
「ふっ、変人の癖にいいこと言うじゃねェか」
「変人は余計だっつの」
二人で腹を抱えて笑い合った。こんな風に笑ったのは一体何ヶ月振りだろう。
乱れた息を落ち着かせて立ち上がり、冷蔵庫の中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。
痛んだ喉に水が滲みていく。冷たさが心地良かった。
突如、聞き飽きたメロディが流れる。
腰のポケットから携帯を取り出すと、電話が掛かって来ていた。
それは、忘れられない、涙の原因の、このおかしな状況の元凶からだった。
親指は電源と通話ボタンの間を行き来して、通話ボタンを選んだ。
「突然、何の用だ」
『相変わらず無愛想ですねェ。泣いてなかったんですかィ』
「うっせェよ。用がねェなら切るぞ」
人を嘲るような口調にイライラする。
出なければよかった。一時の感情に任せて行動するべきじゃないな。
高校生らしからぬことを思いながら、足でたんたんと床を叩く。
『用ならありますゼ?』
「あ?」
『より、戻しませんかィ?』
「…ふざけたこと言ってんじゃねェよ。それに、振ったのはテメェだろうが」
突拍子もない言葉に、すぐには答えを返せなかった。
言われてほんの少し喜んだ自分を恥じた。
『俺が本気で振る訳ないでしょうが』
「……ごめん、サッパリ付いて行けないわ」
冗談で振るとかあんのか!?
『あれ、冗談ですゼ』
こいつに限ってはあるらしい。
頭が痛くなってきた。こめかみを押さえて目を瞑った。
「俺をからかって楽しいか?」
『…こうでもしなきゃ、アンタは俺のことを考えてくれないでしょ』
「………」
『あの後、会いたいと思いませんでしたかィ?…より、戻しましょう?』
甘美な誘惑に釣られてYESと答えそうになる。
俺は変わらなくてはいけない。全てを曖昧にして、誤魔化して生きていくのはもうやめだ。
今までは、傍に誰かが居ればよかった。
誰かがいれば、理想の自分になることが出来た。
自分を固い殻で包んで、弱くて臆病な自分を隠せた。
今は、傍に居て欲しいと願う人物がいる。
会ったばかりの人間にどうしてここまで傾倒するのかは分からないが、彼なら自分を曝け出せる。
「悪ィ」
『……そうですかィ』
総悟ではない。彼では、優しさに甘えて変わらないから。
変わらないことが悪いことだとは思わない。
所属している剣道部の流派(?)は、代々伝えられ磨かれて来た。
今の俺には、変わることが必要なだけだ。
『しょうがないですねェ。グッバイ☆土方さん』
明る過ぎて鳥肌が立つ声と共に、身体がびしょ濡れになった。
お笑い番組のように頭上から水が降って来た。
上を見上げれば、スプリンクラーがありえない量の水を噴射している。
「は、あ?」
『ちょっと弄りましてねェ、ボタン一つで水が出るようにしたんでさ。
ちなみに止めることは出来ませんから、諦めてあの世に行ってくだせェ』
「ハアアアア!?」
気が付けば、もう水は太股の辺りまで上がっていた。
怒りで我を忘れるという意味を、身を持って理解した。
一生理解したくなかったけどな!!
「ふざけんなよ!どうにかしろ!」
『だから、止めることは出来ねェって言いやしたでしょう』
話している間にも水位は上がってくる。
腰辺りのワイシャツがぴたりと張り付いて気持ちが悪い。
怒声を再び上げようとすると、柔らかな声が耳に響いた。
『殺したいほど愛してる』
陳腐な使い古された言葉。
『アンタを愛してる。自分の物にならないなら、殺したい位に。
他人と一緒にいるアンタを見たら、壊れちまいそうになるんでさァ。
…俺だって分かってやした。役不足だってことは』
「………総、悟」
『だから、死んでくだせェ。剣道部副部長の座は、俺が貰って置きまさァ』
「そっちが目的かァァ!!」
『じゃ、さようなら』
プツッと切れた携帯を、見える限りで一番高い台所の棚に入れた。
チッと舌打ちをして、水の中から財布を掬って、中の鍵を鍵穴に差し込んだ。
「こんなんで死んでやるかっつの」
回すとカチャリと音がして、開いたことを告げる。
ドアノブに手を掛けて外に出ようとした。
開かなかった。
「ちょ、待てェェ!!…え、も、もしかして、水、圧?」
考えられる原因はそれしかなかった。
嘘だろ、オイ。あ、外にはあいつがいたじゃないか。
「ドアを押してくれ。鍵は開けたから…おい、どうしたんだ?」
おい、まさか。
「ラフメイカー!!」
ドアをバンバンと力の限り叩くが返事はない。
信じた途端に裏切られた。ドアに当てた拳が力なく下がる。
俺は、愛されてはいけないのか?
死んじまってもいいかもしれない。
心から人を愛したことがない俺なんて。
愛されたいと身勝手に思う俺なんて。
「…もう、いい」
「諦めんじゃねェよ」
幻聴かもしれない。
妄想かもしれない。
聞こえたその言葉は、俺の求めていた物だったから。
バリーンとガラスの割れる音がした。
振り返れば、ぐちゃぐちゃになった泣き顔で鉄パイプを握り締めた、あいつがいた。
「あんたに笑顔を持って来た」
彼はごそごそとコートを漁ると、小さな円盤状の物を取り出した。
自分の顔に向けて確認しているのを見ると、鏡らしい。
彼は俺に向かって鏡を突き付けると、真面目な顔でこう言った。
「あんたの泣き顔、笑えるぞ」
非常事態に何言ってるんだと思ったが、確かに鏡に映った俺の顔は、
涙でぐちゃぐちゃで、情けなくて、みっともなくて、笑えた。
「あははっ、ははっ。ああ、かなり、笑えるよ」
「…じゃあ、俺は帰るな」
「!!」
笑わせるのが生き甲斐だと言った。
達成されれば、泣いている次の誰かの元に行くまでだ。
水を吸ったコートを動かしにくそうにしながら歩いていくあいつの後ろ姿を眺めて、一歩踏み出した。
「何だ?お前もう笑っただろ」
「泣いてる。笑い過ぎて涙が出る」
「それは…」
困ったように眉を顰めるあいつを見て、遠回りに言ってる暇などなくなった。
この腕を離したくはない。やっと見つけた温もりなんだ。
「傍に居てくれ!俺にはあんたが必要なんだッ」
「……………」
沈黙が流れる。
俺はわがままで天邪鬼だ。自分から捨てて、今度は欲しがってる。
これは今までの報いか。人を信じもせず、愛しもしなかった俺に対する罰か。
ぎゅっと目を閉じ、コートを握り締めた。
「ったく、言うの遅ェんだよ」
大きな優しさに包まれ、耳元で囁かれて、心地良さを感じる。
これが俺の求めていた物だ。弱い自分を曝け出せる人。
「隣にいてやるよ。意地っ張りなお前も、弱いお前も、まとめて愛してやっから」
「ハッ、いてやるのは俺の方だ」
見なくても、あいつが笑ったのが分かった。
普段なら癇に障っているだろうが、今は全て許せる気がする。
なあ、俺達って似てると思わないか?
俺もお前も、隣にいてくれる人を探していて。
俺が俺と向き合う為に、背中を押してくれる奴。
目的を達成する為に、でも時々寂しくなる自分の隣にいてくれる奴。
『俺達って出会う為に生まれて来たのかもな』
こっ恥ずかしい台詞だから、永遠に心の中に閉まっておこうと思うけど。
あんたが凹んでて、もし俺が隣に居たら、言ってやってもいいかもしれない。
その時は、夢で聞いたんだろ、と笑って誤魔化してやる。
「俺はラフメイカー。アンタに、一生分の笑顔を持って来た」
差し伸べられた手を取った。
今度はもう、離しはしない。
バンプの「ラフメイカー」をパクイメージしました(笑)。
沖土前提銀土です。沖→土の一方的片思いが好きです。
この後、沖田と銀さんで土方の取り合いがありそうですねー。続きませんが…。
<おまけ>
ラフメイカーが、変態銀さんだったら、絶対こう言ったと思う。
バリーンとガラスの割れる音がした。
振り返れば、ぐちゃぐちゃになった泣き顔で鉄パイプを握り締めた、あいつがいた。
「あんたに笑顔を持って来た」
彼はごそごそとコートを漁ると、小さな円盤状の物を取り出した。
自分の顔に向けて確認しているのを見ると、鏡らしい。
彼は俺に向かって鏡を突き付けると、真面目な顔でこう言った。
「あんたの泣き顔、可愛いぞ」
非常事態に何言ってるんだと思ったが、確かに鏡に映った俺の顔は、
涙でぐちゃぐちゃで、情けなくて、みっともなくて、笑え…。
「あははっ、ははっ。ああ、かなり、笑えるかァァァ!!」
「だってめちゃめちゃ可愛いんだもん!」
「ふざけんなァ!感動シーン台無しだろうが!この曲の純粋なファンにも失礼だァ!!」
「あー、もう、いいや。掻っ攫う!」
「ちょ、待、だ、誰か助けろー!!」
めでたしめでたし(え?