雨が降る。

大地を濡らし、植物に潤いを与える。
だが、割れた物を戻すことは出来ない。
重力に従い、落ちるだけだ。

雨が、降る。



コットンキャンディ ヲ ソラ ニ ウカベテ 4



Doll。
愛玩人形。
幼児の飯事に使われる、祖父が孫に送る、コレクションされる。
見たことがないという人はいないでしょう。

同じ型で大量生産でも、職人の手によって創り出されても、一つとして同じ物はありません。
人形達は身体一杯に「愛する」を詰め込んでいて同じはずがないから。

「人間」と「人形」は感じが一文字違うだけで、別物です。
人間は呼吸をし、食事をし、睡眠を取り、喜び、怒り、悲しみ涙を流す。
人形はどれ一つ出来ないけれど、それだけで二つを分けることは出来ません。
人形と人間の違いは、愛された時に愛し返せるかということ。

彼女(彼)達は誰かに愛してもらうのを待っています…。


「随分と桃色な文章で…」

はあ、と溜め息を吐き、デスクに書類を投げる。
デスクの上には、書類だけでなく、資料、雑誌や写真が山積みにされていた。

「会社PR、ヨツバドール企画」

ふざけているのかと怒鳴りたいが、実際に企画が進んでいるから口を塞ぐしかない。
ヨツバのイメージが世間に伝わっていない。
手っ取り早く浸透させるには人形だ、と強引に決まった。

他にも、広告やイメージガールとかあるだろう。
再び溜め息を吐く。

「俺に何を求めているんだか」

ふざけた企画を任され、正確には押し付けられ、部屋に軟禁されている。
写真にはアンティークドールと呼ばれる可憐な人形達が写っている。
白く透き通る肌、折れそうな華奢な腕、指、微笑む顔。
一瞬本物と見紛う程の出来だ。

「にしても、外人ばっかじゃねぇんだな」

髪は金色が最も多いが、白に近い銀色、茶色、深い黒色などもある。
カールだけでなく、ショートやロングのストレート、適当に切ったような物、おかっぱも見受けられる。
服は黒と白をベースにしたゴシック調から、ピンクや黄緑の花柄、半ズボンと様々だ。
綺麗だとは思う。だが。

「…俺には理解できない趣味だ」

法外な値段のドールを何十体と集めるなんて、どんな奴か見てみたい。
ガラスケースに厳重に入れられているのだろうか。
朝の挨拶とかしてんのか?…歳によってはきつくないか?
そこまでして愛する物を得たいのか。

「けど、愛しても何も作られず、残らないんだよな」

高尚な趣味だから、俺なんかには理解できないのか。
理解したいとも思わないが。
写真をデスクにゆっくりと置いた。
瞳は悲しげに、どこかを見つめていた。



耳にザアザアという音が聞こえる。
生憎外は土砂降りのようだ。
車で出勤しているから問題はないが、気分が滅入る。
やっと外に出られたと思ったのに。自分の運の無さに呆れる。

上質なシートに座り、ハンドルを握る。
鍵を差し入れると、車が寒さに震え大きく身動ぎをした。
目を瞑って心地良い声に身を任せる。

雑音が混じる。
エンジンを止め、音の先を睨みつける。
バッグに入っている携帯を開く。

「…奈南川?」

画面には普段ほとんど掛かってこない、
というか、掛かってくんの初めてじゃないか?、人物の名が浮かび上がっていた。
ボタンを押し、耳に当てた。

「何か用か?」

機嫌が悪いのが声に出るが気にしない。
携帯ということは仕事関係ではないらしい。
早くに帰ったと女子社員が言っていたしな。

「…おい?聞こえてるのか?」

返事はなく、雨音だけが聞こえる。
外にいるのは間違いなさそうだが、声を出さない為にそこにいるのか分からない。
面倒なことに巻き込まれてるとか、ないよな?

「おい、どうしたんだよ!!」
「………火口…」

小さな声が聞こえ、安心する。
掠れ、酷く震えているのが気に掛かったが、寒さの為だろう。

「珍しいな。お前から掛けてくるなんて。どういう風の吹き回しだ?」

おちゃらけて問えば、沈黙が返される。
俺と話をしたくないって言うのか?じゃあ何で電話してくんだよ。
エンジンを掛け、切ってしまおうと耳元から離そうとした。

「三堂に−−−−−」

音が真っ白になった。
エンジン音も雨音も消え、電話の声だけが頭に響く。
思考回路が停止し、気付いたら声を腹から絞り出し、アクセルを踏んでいた。


濡れた道路を滑りながら、車は止まった。
ガラスはワイパーが高速で動いても意味がなくなっていた。

黒い傘を手に取り、乱暴にドアを閉めた。
車が傷付くことなど初めてしたから、相当焦っていたのだろう。
見渡すが、水のカーテンと暗さの所為で視界が悪い。

「くそっ…」

舌打ちをして走り出す。目を細めるが人影が見えない。
足元が湿り、ズボンの裾に泥が跳ねる。
動かずにその場にいろとでも言うつもりか。

「出来るわけねぇだろっ」

空は暗雲が立ち込め、日の光の一筋も見えない。
闇の中で手探りで探しているようだ。

無機質なコンクリートが泣いている。
道路の真ん中に佇んでいる、見慣れた後ろ姿を見付ける。
は、と息を吸い、即座に走り出す。

「奈南川っ!!」

抱き寄せた身体は何の抵抗もなかった。
スーツは相当な量の水を吸って重みを増していた。
頬は青ざめ、手を当てると冷え切っていた。

虚ろな瞳は、きっと俺を見ていない。
でもほっとけない。とんだお人好しだ。

もう一度、しっかりと抱きしめた。
闇の中に一人で立っていた時、雨に溶けて消えそうに見えた。
繋ぎ止めておかなければ、いなくなってしまいそうで。


滲み一つないシートが水浸しになったが、目に入れないようにする。
青ざめ、外を見つめる姿が見ていられない。
腕を引っ張り、家に入れた。
タオルと着替えを渡し、浴室に押し込んだ。

温まってからゆっくり話せばいい。
何があったかなんて、聞かずとも分かる物だが。

「…それにしても遅くないか?」

ゆうに三十分は過ぎている。
女並みに身体の手入れとかしているのだろうか。
新聞を机に置き、浴室に向かう。
水尾とはもちろん、物音もしない。

「入るぞー」

ドアを開けると湯気、ではなく冷たい空気が溢れて来た。
三十分前と同じ姿をした奈南川が立っていた。

「お前、何で風呂入ってないんだよ!」

怒鳴りつけても反応がない。
迷惑を掛けていると思っているのか?
いや、奈南川は言っちゃ悪いが、そんなこと気にする奴じゃない。

最悪の展開が頭を過ぎる。

肩に手を掛け、こちらを向かせる。
目は虚ろにどこかを見ている。
黒いつぶらな瞳。そう、まるで子供のような。

「…嘘、だろ?なあ」

自分に問いかける。
どうしてこの二人は幸せになれない?
こいつらに悪い所なんてない。

「ごめん、俺のせいだ。ごめん…」

スーツが肌に張り付いて気持ちが悪い。
それすらも感じられなくしてしまった。
三堂の所為じゃない。あいつだって被害者だ。

「ごめん、ごめんっ」

知らなかったんだ。
三堂が誰を好きだったのか。
お前の心が、綿のように容易く千切れてしまうことも。

自分より大きな身体にしがみつく。
声が震え、熱い液体が頬に伝うのが分かる。
何度謝っても足りない。

「…ごめん………」

スーツの上着を力一杯握り締めるが、身体は動かない。

彼は、感情をなくした。

喜ぶも、怒るも、悲しいも、楽しいも。
愛するも、愛されるも分からなくなった。
粉々に砕けた心は戻らない。

壁を作り、傷付かないようにする。
記憶をなくすのではなく、閉鎖したのは、自らがなくしたくないと望んだからか。
自分が人形になってしまう方がいいと思ったのか。


黒い不透明のビー玉が、曇り空を眺めていた。













奈南川を苛めるのが好きなんです。
途中で出てくる人形達は、言わずもがな、とは思いますが。
誰か作ってくれませんか?