「明日か」

妻子が母方の家に遊びに行き、帰って来るのが三が日を過ぎた明日だ。
最初は家族で過ごそうと思っていたのに、とうじうじしていたが、意外と楽しかった。
死の会議なんてろくでもない物に巻き込まれてしまったが、
あの時社長に呼ばれていなければ、七人と仲良く過ごすなんてことは一生なかっただろう。

妻は家事から解放され、娘も祖父母と会えて楽しんでいるだろう。
たまにはいいと思う。

問題は、食料だ。
冷蔵庫を漁ると、肉や野菜、果物など色とりどりの物が入っていた。
良妻らしく、冷凍食品なんて一つも入っていない。

コンビニで弁当を買って過ごしているが、帰って来た妻がこれを見たらどう思うか、少し頭を痛ませていた。
気紛れだった。普段なら到底思いつく訳がないだろう。

「料理してみるか」



Sazonando en el favorito



作るのはオムライスとオニオンスープだ。
小学生の頃に作ったカレーライスでもよかったが、一人で作って食べるのはかなり寂しい図になるので止めた。

だが、エプロンを付けるにしても四苦八苦だ。
何処に何が置いてあるのか分からないため、戸棚を開け閉めして探す。
閉め忘れて頭をぶつけると、かなり痛い。

「っ、いったー」

スープ用の玉葱を切っていくが、目に沁みる。
包丁に不慣れなこともあって薄切りとはあまり言えないが、気にしない。
レンジで加熱してから炒めた方が簡単だ、とあったのでその通りにする。

フライパンで玉葱を根気良く炒めていく。
たった十分間、と書かれていたが集中力が持たない。
延々とかき混ぜ炒めるだけ。

「ふう、よくこんなの毎日出来るよな」

結局五分ほど炒め、鍋にブイヨン、湯と共に入れる。
煮立ったら弱火で十分煮込み、塩、胡椒で味付けだ。
味見をすると。味見をすると。味見をした。

「まっず」

玉葱は生だし、薄過ぎて味がしない。
お、オムライスはきっと上手くいくさ。
気を取り直して冷蔵庫を開けた。

「……卵がない」


近くのスーパーに行くが、卵の場所が分からずお店の人に聞いた。
妻に捨てられた可哀相な人だと思われたかな。あながち外れでもないけど。
積み重なっている卵のパックに手を伸ばすと、横から取られた。
わざわざ僕が取ろうとしたのを取らなくてもいいだろうに、と苛付いて横を見た。

「え、火口!?」
「俺が買い物に来ちゃいけないって言うのか?」
「う、ううん。料理、するんだ」
「まあな」

スーツにコートを着ている姿を見ると、仕事が終わった後のようだ。
こんな所で会うなんて思ってもいなかった。顔が合わせられない。
よりによってこんな時に会わなくてもいいのに。苦しい。

「お前は何作るんだ?」
「え、あ、オムライスとオニオンスープだけど」
「そうか」

火口は卵を籠に入れ、じゃな、と声を掛け背を向けた。
初詣の後、恥ずかしくてお礼の電話も出来なかった。
会いたくなかった。でも、会いたかった。話がしたかった。

「火口っ!」
「何だ?」
「僕、料理下手だから、教えて欲しいな、とか思ったりしたんだけど、やっぱり無理だよね、うん、ごめん」
「…勝手に自己完結させんなよ」

乱暴に髪を掻き混ぜる手の温かさに安心する。
言ってはいけない言葉を口にしそうになり、服を掴んで飲み込んだ。

「別にいいが、これは奢りだぞ」
「…うん!」

食材が山盛りの籠を抱えてレジに行った。
嬉しくて、他のことを考えられなくなった。
五千円札が一枚消えたことも、どうでもよくなってしまった。



「うわ、これは酷いな」
「ちょっと!何食べてるの!!」

失敗作のオニオンスープをシンクに流す。
火口はスープを飲んだらしい。顔を顰めている。

「下手なのは分かってるってば」
「…お前、集中力持たない方だろ」
「え?何で分かるの?」
「玉葱はきちんと炒めてないし、煮込んでないから味が薄い」

一口飲んだだけで分かるなんて、料理研究家みたいでかっこいい。

「ほおー、すごいね」
「感心しないで早く着替えろ。作るんだろ」
「うん」

棚からエプロンを引っ張り出し、火口に渡す。
二回目ということもあって、紺色のエプロンは楽に着れた。

「おい。これは何のつもりだ」
「ん?エプロン。付けないと不潔じゃない」
「お前のセンスか?これは」

渡したのは、レースがふんだんに使われた白のエプロン。
戸棚を漁っていたら出てきた物だ。

「似合うんじゃない?」
「…殺されたいのか、てめぇ」
「あはは、嘘だって。はい、これ」

ただでさえ尖っている目で睨まれる。
冗談、冗談。ジョークに決まってるでしょ?
おかしくて笑ってしまった。

「おい、笑ってないで料理作るんだろ」
「あ、うん」

振り返って火口を見ると固まってしまった。
ネクタイを外して緩められた首元、白いシャツをまくった腕。
それに、ソムリエエプロンと呼ばれる、腰から下を覆うエプロンを着ている姿。
思わず凝視してしまう。

「何見てんだよ」
「な、何でもない。よーし、作るぞー」

かっこよくて見惚れてた、なんて絶対に言わない。


「ご飯と白ワイン」
「はい」

魔法のように華麗な手付きで炒められていく。
オニオンスープはほとんど火口が作り、味は僕の物とは比較にならなかった。
今はフランスパンとチーズを乗せ、オーブンで焼いている。

「…何でヨツバに勤めてるの?」

三ツ星レストランで働いていてもおかしくない腕だ。
テキパキと指示を出し、料理を作る。結構似合うと思う。

「シェフになりたかったんだが、親父がうるさくてな。料理が好きなんだ」
「へえ…」

調理している火口の顔は確かに嬉しそうだ。
僕は火口のことを全然知らない。
昔に何があったか、何が好きか、さっぱり知らない。
いや、これでいいんだ。知りたいなんて思ったら抜け出せなくなる。

「ほら、やってみろ」
「ぼ、僕が?」
「早くしないとバターが焦げる」

ボウルに入った黄色い液体。
じゅうじゅうと音を立てるフライパン。

「ムリムリムリ、絶対ムリ!」

料理音痴の僕に出来るわけがない。
そんな、責任重大で失敗したら取り返しの付かないこと、出来ない。

「一気に注ぎ入れて、菜箸でかき混ぜる。
外側が固まってきたらご飯を乗せて、フライパンを揺らして卵で包む。それだけだ」
「ムリだってば」
「…ったく、しょうがねぇな」

火口は首を掻くと、葉鳥の背後に回り腕を重ねた。
驚いて卵の入ったボウルを落としそうになる。

「ちょ、火口!!」
「動くな。これ位作れるようになれ」

卵が焼ける音に緊張するが、背中に感じる熱に身体が強張ってしまう。
心臓が壊れたように拍を打つ。
三堂に射的を教わった時はこんなにならなかったのに。

「手早くかき混ぜる!」
「は、はいい」

箸でがしゃがしゃとかき混ぜる。
空気を含ませるように、下から掬って、とか言ってたらしいが、よく聞き取れなかった。
だって、火口の手が僕の手に…。

「まあ、初めてにしちゃ上出来だな」

皿の上には、端が欠けているが卵に見事に包まれたオムライスが載っていた。
ほかほかと湯気を上げて美味しそうだ。
僕が作った物とは思えない。

「……本当に僕が作った?」
「は?」
「え、いや、なんでもない」
「…先に座って待ってろ」

エプロンを外し、椅子に座る。
机にはどこにあったのか、麻のランチョンマットが二枚置いてある。
オレンジ色が鮮やかに発色されている。

火口が皿を運んでくる。
白い皿に黄色と赤色のオムライスが映える。
ココット皿には焼き色が付いたチーズが盛られている。
置かれた途端にスプーンを手に持ち、オムライスを口に掻っ込む。

「美味しい!!」

ふんわりとした卵に包まれたチキンライスは、アンチョビが効いている。
一つ一つがおいしくて、合わせて食べると更に味が引き立つ。

「んまい。これも食べていい?」
「味わって食べろよなー」

ココット皿にスプーンを入れると、チーズの隙間からスープが溢れ出る。
飴色をしたオニオンスープだ。中には柔らかくなったフランスパンが浮かんでいる。
ふうふうと息をかけ、口に含む。

「……旨い。どうやったら作れるの!?」
「お前、見てただろ」
「へ?ああー、うん、見てた。多分」

呆れたように笑われた。
子供みたいに馬鹿にされて、スープを口に突っ込んだ。

「熱っ」

コップの水を勢い良く飲むが、舌がひりひりする。
舌を水道の蛇口の下に置きたい。

「何してんだよ」
「いひゃい…」
「大丈夫か?」

笑みの中に心配する優しさが見え、咄嗟に下を向いた。
勘違いしてしまうじゃないか。愛されていると。
そんなことありえないのに。


「じゃ、俺は帰るかな」
「あ、もうこんな時間。今日はごめん、無理言っちゃって」
「いいんだよ、俺も一人で食べるのに飽きてた所だ」

時計の針は十時過ぎを差していた。喋るのに夢中で気が付かなかった。
火口はコートを着込み、暗い赤のマフラーを首に巻き、玄関のドアを開けた。
冷たい風が吹き込んでくる。
日は落ち、辺り一面が黒色に染まっている。

「送るよ」

傍にあったコートを引っ掴み、火口の後を追いかけた。
身体を夜気が包み込み、芯から凍える。
人影はなく、街灯が暗闇に明かりを灯している。

「さすがに寒いね」
「ああ」

吐く息が白く濁る。
寒さから、手を擦り合わせる。

「火口、今度また料理教えてよ」
「お前のは教えるというより、ただ食べるだけだろうが」
「だ、だって、難しいし」
「構わない」
「えっ、本当?」

のんびり会話をしながら料理を作る。それが僕には至福の一時だ。
火口があっさりと許可を出したので、嬉しくて頬が緩んだ。

「ただし、今度までには目玉焼きは作れるようになっとけ」
「目玉焼きくらい作れるっ!」
「はは、悪ぃ」

火口の笑った顔が、暗闇の中で眩しく輝いていた。

「……なんだ」

口が言葉を紡ぎ出してしまう。
止めなくてはいけないと分かっているのに、言うことを聞かない。
溢れる思いが止まらない。

「好き、なんだっ」

妻子を一生愛さなければいけない身と分かりながら、好きになった。
彼を愛してはいけませんか。
これ以上の幸せを望んではいけませんか。

「火口のことが、好きなんだよっ」

震えた叫び声が反響し消えると、耳に痛い沈黙が流れる。
寒い。
地面を見ていると涙が零れてしまいそうだが、顔を上げることも出来ない。
震える身体を両腕で必死に抑える。

ぱさりと首に布が掛けられる。
温もりがまだ残っているマフラー。
火口は葉鳥の首にマフラーを巻くと、葉鳥の頭に手を置いた。

「寒いだろ」

え、と顔を上げた時には既に遅く、火口は夜の闇へ消えていっていた。
街灯に照らされた背中が遠くに感じる。
もう二度と手が届かない所に行ってしまうような。
視界がぼやけ、光がきらめきを増し、黒いコートは完全に闇の中へ消えた。

「どういう、ことだよ。火口、火口ぃっ」

何度叫んでも、答えはない。
関係を望んではいけない。分かっている。
僕なんかを火口が好きになるはずがないことも分かっている。
これは僕の一方的な思いだ。
じゃあ、どうすれば、この思いは消える?

もし結婚していなかったら。
もし会わなかったら。
もし優しくされなかったら。

一体、いくつのifを重ねれば、僕は幸せになれるのだろう。

水滴と嗚咽が、地面に落ちて吸い込まれていった。










ヒグ←ハトで、葉鳥は火口の思いに気付いていません。
早くくっついてくれ。私が耐えられない…。
次でめでたく!…なるはず、です(予定は未定)