夕日と、君の輝きと、胸一杯に抱きしめて離したくない。
それが叶わないことで、温かな光を手放さなければいけない日が来るとしても。
俺は、君を愛し続ける。
賀正に君と遊ぼう(「賀正に君と歩こう」番外編)
目覚めは最悪だった。
目を開けると茶髪に眼鏡のいけ好かないおぼっちゃんが、腹の上に乗っていた。
馬乗りになりながら、シャツのボタンを外していた。
頭が動かず状況がつかめないが、とりあえず蹴っ飛ばした。
「―――っ、火口、何すんだよ!」
「それは俺の台詞だ」
残念。夢じゃなかったみたいだ。
朝っぱらからきいきいうるさいな。…朝?
部屋の窓を見ると、光が差し込み、青空が広がっている。
「寝ちまったのか」
「着いた途端に「少し休ませてくれ」で、ぐうすか四時間も寝てさ」
「あー」
言ったような気もするが、記憶は曖昧だ。
動くと頭に皹が入る。こりゃ、完璧二日酔いだな。
「着物着て初詣、って言ったよね?」
奈南川の家に行く車の中で、そんな話もしたっけな。
本当に行くのかよ。ったく、めんどくせーな。
「悪ぃ」
「…別にいいけど。あ、でさ、何色がいい?」
三堂は嬉々として着物を見せる。
気付かなかったが、三堂はすでに着物に着替えていた。
紺色の、こいつにしては珍しく、地味な着物だった。
「お前と一緒のでいい」
「えっ、お揃いがいいの!?」
「…紺色」
「紺?紺、かあ……」
三堂は顎に手を当て、わざとらしく悩んだ。
こういう時の三堂って、何か企んでるんだよな。
自分にとって悪いことであることは間違いないだろう。
そもそも、三堂の言い出したことでよかった試しがない。
「うーん、ベージュは駄目?」
「…別に構わないが。何でだ?」
「だってさ、黄色に紺は似合わないでしょ!!」
黄色?帯の色か?
いや、奈南川が帯は黄色一色しか持ってない、なんてことはありえない。
三堂の企みが分かってきて、頭がずきずきと痛んだ。二日酔いの方がましだ。
「黄色って…」
「葉鳥の着物の色に決まってるでしょ?」
三堂は世の奥様方を瞬殺させるであろう笑顔を振りまいた。
俺には胡散臭いことこの上ない。
「ナミは赤だから、僕が紺。葉鳥が黄色だから、火口はベージュ。どう?」
「………」
「そんな怖い顔するなって。あ、いつものことか」
「………」
「大丈夫、大丈夫。ナミと葉鳥には、花柄の着物渡したから」
何が大丈夫なんだ。
一言多いのはいつものことだが、これほどまでに殴りたいと思ったのは初めてだ。
「絶対似合うって。ナミが付いてるんだから。あ、早く着替えないとあっちが先に着替え終わっちゃうよ」
「………」
「ごめん、勝手だったよね。嫌だったら別にいいよ。葉鳥が楽しみにしてたんだけど…」
「…分かった、しょうがない。行ってやる」
「ありがとう!火口はそう言うと思ったよ!」
誘導尋問されたようで頭にくるが、葉鳥の名前を聞くと付いて行かざるをえない。
惚れた弱み、ってやつかね。俺もまだまだ若いなあ。
耽っていると、三堂の手が腰に巻き付けられる。鳥肌が立つ。
「やめろ!」
「筋肉付いてるねー。さすが剣道やってるだけあるね」
「やめ、う、んっ」
「お、色っぽいね、今の声」
「っ、一遍逝って来い!!」
華麗に三堂の鳩尾に膝が入った。
気を失った三堂は床に転がしておき、スーツを脱ぐ。
床に置いてあるベージュの着物に袖を通す。
肌触りがいい。奈南川の奴、なかなかいいもん持ってんじゃねぇか。
剣道を嗜んでいるとあって、着るのは造作もないことだ。
スーツを着るのと変わりないように手早く着替えると、全身鏡に身体を映す。
発色のいい布地に満足し、葉鳥の姿を想像してしまう。
奈南川に赤は映えるだろうが、あいつに黄色か。
あのぼけーっとした感じは黄色だけどな。
けど、あの馬鹿(三堂)が花柄なんて言ってたな。
男が花柄なんて着ても…。
「…若過ぎるぞ、俺」
こそこそと手洗いに向かった。
部屋に戻ると三堂が腹を押さえて、唸っていた。
ちっ、思ったより起きるのが早いな。
もう少し強めに入れとくべきだった。
「痛いー、痛いよ、火口ー」
「うるさい。そろそろ行くんだろ」
「痛いー」
「早くしろ」
「痛いよー」
「おい」
「火口の愛が痛いっ!!」
反省を踏まえて、強めに入れた。
「あ、来たみたいだよ」
玄関で待つこと十分。
三堂はあの後のた打ち回っていたが、無視して部屋を出ると付いて来た。
着物が崩れたが気にしていない。
支度が整ったらしい。奈南川は赤地に梅の着物だ。
女みてぇな顔してるとは思ってたが、こうなるとは思っていなかった。
一目見ただけじゃ男か女か分からないんじゃないか?
「すまない。手間取ってしまってな」
「いや。ありがとう、ナミ」
朝からいちゃいちゃするな、と思ったが、視界に入れないようにして気にしない。
葉鳥はどうなんだ?奈南川ほどに女顔じゃねぇし、少しキツイんじゃないか?
奈南川の後ろに隠れていた葉鳥を覗き見る。
「っ………」
咄嗟に視線をずらしてしまった。
黄色の地に花が散らされた着物、小さく可憐な髪飾り、唇に塗られたリップ。
可愛い。想像以上じゃないか。
「じゃ、行こうか」
今日一日、理性を保てるか不安な所だ。
心配は杞憂に終わった。
葉鳥は三堂と一緒に、あちらこちらの屋台で胃もたれしそうなほど買い込んでいる。
食べきれないだろうに。まあ、残ったら『しょうがなく』食べてやるか。
自然と笑みが生まれてしまう。
くいくい、と袖を引っ張られていることに気付く。
横を見ると、奈南川が熱心そうに屋台を覗いている。
「何だ?」
「輪投げ。…やりたい」
「あ?三堂とやればいいだろう」
言って、しまったと思った。見る見るうちに奈南川の表情が曇る。
三堂は葉鳥に付きっきりだ。
まるで奈南川が眼中にないかのように動く三堂に苛立ちを覚えるが、
今日は葉鳥のために来ているのだからしょうがないだろう。
「……やるか」
「本当か!?おじさん、二人分!」
ぱあっと明るくなる顔に、三堂が好きなのはこれか、と納得がいく。
あまりにべたべたし過ぎて邪魔な時もあるが、たまには許容してやるか。
「はい、火口」
「ん」
粗い縄で出来た紐。
何度も人の手に揉まれて、毛羽立っている。五本とも左手に掛ける。
この歳になって輪投げをやるとは思わなかったな。
人目が気になるが、気分が高揚してくる。
「よし、やるぞ!……それっ」
奈南川が放った輪は瓶に弾かれ、地面に落ちた。
付き合ってやるか。近くに放り投げる。
見事に外れた。
「火口、下手だな」
「うるさいな!今のは練習だ」
狙いを定めて投げると、白い箱に掛かった。
絆創膏。いらねぇ…。
もう一回投げると洗面器が取れた。どうしろと…。
「すごい!どうやったら取れるんだ?」
きらきらと輝いている目が向けられる。子供みたいだ。
可愛い、と思ったが思想の隅に追いやる。
手を出したら三堂に何されるか分かったもんじゃないな。
「直線的に投げるんじゃなくて、上に被せるように投げるんだ」
「被せるように、だな。分かった」
うまくいかなくて残念な顔をしていたのが嘘のように、次々と輪を投げる。
どうも、瓶に掛けたいようだが、うまくいっていない。
「あー、取れなかった…」
「どうしてそんなに瓶が欲しいんだ?」
「いや、瓶ではなく、あれが」
店脇に置かれた犬のぬいぐるみ。大きくて置き場に困る気がするが。
茶色い癖毛、垂れ目がちな目、誰かを思わせる。
張り紙に赤く、瓶に通せばプレゼント!、と書いてある。
「欲しいのか?」
「だ、だって、その……似てるだろ」
手を当てた口の中でもごもごと濁らせ俯くが、頬が赤く染まったのが丸分かりだ。
伏せられた目の睫毛が長い、なんて関係のないことを考えてしまう。
ここまで来てラブラブっぷり見せ付けなくてもいいだろ。
「はあ、よくそこまで一途になれるな。愛しの三堂は葉鳥と一緒なのに」
また口を滑らせてしまった。
三堂と葉鳥は仲良く射的をしている。
奈南川を見ると、動揺せずに二人を見ていた。
「別に、いいんじゃないか。三堂が楽しいなら」
「…自己犠牲の精神か?」
「自己犠牲、なんて高尚な物じゃないさ」
自嘲すると、奈南川は二人から目を離した。
振り返り、黒髪がさらりと風にそよぐ。
向けられた黒い瞳には、寂しさと憂いと確固たる意思が秘められていた。
「愛する、ってそういうことだろ?」
奈南川は微笑んだが、俺は何も言えなかった。
もう一回、とまた縄を貰い投げ始める。
何度も投げる。失敗しても次があるとでも言うように。
「…じゃあ、三堂が結婚するって言ったらどうするんだ?」
縄を掴んだ手が止まる。
輪は左手に戻され、右手は下げられた。
「そうだな…。三堂が幸せになるのなら、いいんじゃないか」
「幸せになるなら、か。あいつは絶対、結婚した相手を不幸にするな」
「同意見。大体、貰ってくれる人がいるのかどうか」
「ダンボール箱にでも入れるか?」
「ははっ。それじゃ貰うじゃなくて、拾うだ」
「それもそうだ」
何でそんなに泣きそうな顔で笑うんだよ。
今にも泣き出しそうじゃないか。
右手は爪の色が変わるほどきつく握られているじゃないか。
三堂が幸せになるのなら。
それは建前でも嘘でもないだろう。
でも、そんなに分かりやすく割り切れる物じゃないだろう。
懇願して引き止めたい筈なのに。
「恋人が幸せなのが自分の幸せ、か?」
「まあ、な。お前が言うと嘘に聞こえるがな」
普段は気付かないけれど、本人達は分かっているのだろう。
一生、一緒に居ることはないということを。
だから、相手が幸せになるのなら、自分は身を引く覚悟があるのだ。
「っくそ」
不覚にも泣きそうになった。
涙で滲んだ目で、やけくそに輪を投げる。
あ、と隣で小さな声が聞こえた。
最後の輪が、きれいな放射線を描いて、吸い寄せられるように瓶に掛かった。
「おめでとう!はい、どうぞ」
渡されたぬいぐるみを、奈南川の顔に押し当てる。
見られない内に、涙を袖で拭い取る。
「っぷは。私を殺す気か!」
「やるよ」
「…いいのか?」
「んなでかい犬、置く場所ねえよ」
「火口……ありがとう」
奈南川は、柔らかな毛に顔を埋めて笑った。
これくらいで喜んでくれるなら、お安い御用だ。
少しの間でも、愛してよかったと思える手伝いになれればいい。
さて、こんなに一途な恋人を放って置く馬鹿野郎に会いに行くか。
年末年始の休みが終わり、再び退屈な日常が始まる。
ジリリリリと鳴る受話器を耳に当てる。
「はい」
「火口っ、今すぐ仮眠室に来て」
「は?」
「い・ま・す・ぐ!じゃ」
ぶつっ、と切られた音に耳が痛くなる。
三堂、今は仕事中じゃないのか?まあ、無視すると後でうるさいしな。
ダルそうに椅子から立ち上がった。
仮眠室のドアを開ける。三堂はベッドの横に座り込んでいた。
人差し指を口元に当て、手招きをする。
足音を立てないようにベッドに近付く。
「……………」
すやすやと寝息を立てながら眠っている奈南川。
腕にはしっかりと、あの日取ってやった犬のぬいぐるみが抱きかかえられている。
「仮眠の時には、いつも抱いて寝てるんだよ」
んん、と奈南川が声を上げた。
起きたのかとも思ったが、寝言だったらしい。
奈南川は腕の力を更に強め、ぬいぐるみに頬擦りをし、微笑んだ。
「あれさ、火口が取ってくれたんでしょ?」
「まあな」
「ありがとね。あの日、葉鳥ばっかり構っちゃったから」
「…あまりに可愛いんで取ってやろうかと思ったよ」
ナミは僕の物だから、駄目!と騒ぎ出すかと思ったが、三堂は奈南川の髪を触っている。
黒髪が空中に持ち上げられては下に落ちる。
絡まることもなく指からすり抜けていく。
「ナミが幸せになれるんだったら、それでもいいかな」
「………」
三堂は寂しそうに笑った。
ふう、と息を吐く。どうしてこうも同じ考えなのか。
会議でも考え方が似ているとは思っていたが、ここまで同じとは。
「三堂、結婚して子供を作って家庭を作りたいと思うか?」
「……将来はそうなるんだろうな。でも今は、ナミと一緒にいるのがいいな」
「それでいいんだよ」
わしゃわしゃと三堂の頭を撫でる。
目が見開かれる。ふとした表情が子供っぽく見えるのは、こいつも同じか。
「奈南川はな、三堂が幸せになるのなら結婚してもいい、って言ってた」
「そう…」
「たとえの話なのに、あいつ、泣きそうになって言うんだよ」
「………」
「なあ、お前の幸せは何だ?」
三堂ははっとしたように固まり、奈南川の髪から手を離した。
目尻から水滴が零れる。おい、こんな所で泣くなよな。
「火口ありがとう、ありがとうっ」
泣きじゃくる三堂を抱えた。
何度も嗚咽と共にありがとうを繰り返した。
ある程度収まると裾で目を擦り、顔を上げた。
その顔にはもう、迷いは見えなかった。
「いいこと教えてあげる」
「ん?」
「隣のベッド見てみな」
百八十度身体を回転させ、ベッドを覗き込む。
そこには、黒い犬のぬいぐるみを抱えた葉鳥が眠っていた。
たった一つの宝物を持つかのように。
「っ……」
「僕が取ってあげたんだよ。目が吸い寄せられて離せない、って言ってた。幸せ者だね、火口」
「…ありがとう」
「どういたしまして」
限りある時間の中ではあるけれど、二人で幸せに過ごせたらいいと思う。
いつか別れる日が来ても、笑顔で手を振れるように。
愛してよかったと、愛されてよかったと、そう思える日が来るように。
その日まで、俺は君を愛そう。
甘々は好きだけど、一生その相手といることはありえないと思う。
という思いと、洗面器と絆創膏について書きたくてこんな物が出来上がりました。
途中で三堂が言った言葉で、私がよく使う言葉がありますが、友人'sはスルーして下さい…。