「やだっ!」
「葉鳥」
奈南川の指が、葉鳥のスーツを脱がしていく。
細く白い指は冷たく、まるで雪のようだ。
耳元で囁かれた声に身体が震える。
「いやだ、やめろっ」
「…大丈夫だ」
「奈南川…」
抵抗するが、シャツのボタンも取られていく。
葉鳥の頬に右手を乗せると、必然的に葉鳥の目線は奈南川に向けられる。
口をへの字に曲げた葉鳥を見ると、奈南川は笑った。
「私が全て教えてやる」
賀正に君と歩こう
事の始まりというのは、いつも突然訪れる。
大晦日に八人で忘年会をした俺達は、年が明けてからも酒を飲んだ。
幸い吐くことはなかったが、日頃の疲れからか眠りについてしまった。
朝に皺くちゃになったスーツを見て、怒られるな、と思い、重大なことに気付いた。
「昨日、電話してない…」
妻と子と、三人で大晦日を過ごし、初詣に行こうと考えていたのに。
朝の六時。携帯を開き、自宅に電話を掛ける。
プー、プーと無機質な音が、女の人の声に変わる。
「ただいま留守にしております。ご用のある方は…」
「留守電?」
元日から買い物でもしてるのか?
妻の携帯に電話を掛ける。
繋がってくれ。祈るように携帯を耳に当てた。
「…どうしたの、こんなに朝早くから」
「お前こそ何してるんだよ。家に電話してもいないし」
「だって今、お母さんの家にいるもの」
「…へ?」
「昨日は話はできないし、電話も掛からなかったから。ここに来て娘も喜んでるわよ」
「え、じゃ、僕は?」
「三が日はこっちにいるから。ゆっくり休んでね」
「え?え、ちょっと待っ」
容赦なく切られた携帯を、呆然と眺める。
初詣で妻と娘の着物姿を見て、家族の良さをしみじみと味わうだったのに…。
脱力して溜め息を吐く。
「葉鳥、どうしたの?」
寝ぼけ眼の三堂が後ろに立っていた。
あれだけ騒いでいれば起きてしまうのも当然か。
「三堂…それが、妻子揃って母方の家に三が日いるって…」
「…それは災難だったね」
「暇になっちゃったな。することがない」
はーあ、と大げさに息を吐いた。
頼りない父親、なのかな、やっぱり。
一家の大黒柱なんて思ってたのは俺だけか、と気持ちが暗くなる。
「…たまにはそんな日もいいんじゃない」
「まあ、な。初詣にでも行こうかな」
「一人で?寂しいなー」
「あ、馬鹿にしただろ、今!」
「してない、ぜーったい、してない」
「笑ってんじゃないかよー」
笑い終わると、急に眠気が襲ってくる。
昨日、いや今日か、にどんちゃん騒ぎをして浴びるほどに酒を飲んだ。
酒に寝不足も重なって、携帯が床に落ちたのにも構わず、瞼を閉じた。
小さく呻き声を上げる。背中が痛い。
そういえば、あの後床で寝てしまったのか。
起き上がって目を開くと、そこには鮮やかな色が広がっていた。
言葉にならない。お花畑に来ちゃったのかな。
お父さん、早く来てー、という娘の声が聞こえる。
かわいいなあ。うん、今すぐ行くからね。
笑顔で手を伸ばした所で、後頭部に鈍器をぶつけられた。
「何処に行ってるんだ」
「痛っ…奈南川?」
鈍器は将棋の盤だった。
下手したら死ぬよ?まあ、奈南川のことだからきれいに証拠隠滅するんだろうな。
思考が違う方向へ逸れていく。
「ここは?」
「私の家だ。車に乗せてきた」
「え、何で?別に三堂の家にいてもよかったんじゃ」
「…そうか。お前は寝てたんだったな」
顎に手を当て悩む様は画になっている。
和、って感じだよな、奈南川って。
奈南川は数歩歩いたり、俺の顔を眺めると、結論を出した。
「よし。葉鳥、何色が好きだ?」
「は?」
「だから何色が好きだ?」
「いや、そこに行き着くまでの過程が知りたい」
奈南川はいかにも面倒臭そうに溜め息を吐いて、私に無駄な力を使わせようと言うのか、と睨んだ。
「三堂の父が新年会をするとやらで、鷹橋、樹多、尾々井、紙村は帰ったんだが、お前が起きそうになくてな。
しょうがないから私の家に来るまで送ったんだ。
それで、車の中で三堂が、どうせならこの四人で初詣に行かないか、と言い出してな。
私が着物を貸すことにしたんだ」
寝る前にやけくそに初詣に行ってやる、とは言ったが、まさかこうなるとは。
三堂ってほんと、細かい所に気付くよな。
話を聞いて付き合ってくれる奈南川と火口の優しさも嬉しい。
「三堂と火口は着替えている。お前は何色がいい」
「そうだな。紺か灰色の」
「ないぞ」
「……………」
頭が痛いのは、二日酔いなのか、違う理由なのか。
床に咲き誇っていた花は着物だった。
手に取ると高級品らしく、さらさらとした肌触りだ。
それはいいんだけどな。何だかすごく嫌な予感がするのは気のせいかな。
「これ、女物だよね?」
赤、桃、水色、黄色、橙、と並ぶ着物はどれも可愛らしい。
花が描かれており、妻が着たら似合うだろうな、と思う。
「大丈夫。男物だ」
問題はそこじゃない。
「だ、誰が着るのかな?」
「私とお前に決まってるだろう」
そして冒頭に戻る。
出来る限りの抵抗をしたが、身長差で意味がない。
あれよあれよという間に着せられてしまった。
確かに男物だが、鏡に映った姿を見て泣きそうになる。
黄色の地に、桃色や橙色の小さな花が描かれている着物。
頭には着物に合わせた髪飾りが付けられている。
きれいだとは思う。自分でなければ。
「これで外歩くって…」
どれだけ稀有の目で見られるのだろう。
妻子がいなくてよかった、と思ってしまい自己嫌悪に陥る。
化粧をしようとした奈南川を止めて譲歩した結果、唇に塗られたオレンジ色のリップを拭い取りたい。
自分の姿を見てゲテモノだと思う。男がこんな格好するもんじゃない。
「待たせたな。行こうか」
「………」
奈南川は手馴れた調子で歩いてきた。
深い赤色に梅の花があしらわれた着物、長めの髪を上げ豪華な飾りを付けた頭。
男でも似合う人はいた。
奈南川の後を付いて、玄関に出る。
遠くに見えた、普通の男物を着た三堂と火口を見て隠れたくなった。
「すまない。手間取ってしまってな」
「いや。ありがとう、ナミ」
笑った三堂は紺で揃えられた着物と羽織を少し着崩していた。
よく着る機会があるのだろうか。
火口はベージュの着物に、茶色の羽織を着ていた。
難なく着こなしている。
僕を見て、あからさまに目を逸らされた。やっぱり気持ち悪いか…。
「じゃ、行こうか」
既に奈南川と手を繋いでいる三堂を見て、キラに殺されるのも悪くないかと思ってしまった。
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