最後・最終・最高の夜



「遅いじゃないか、葉鳥」
「一体なんだよ、急に呼び出して」

十二月三十一日。今年が終わる日。
とりあえず本日分の仕事が終わり、家に帰ってゆっくり新年を迎えるかと思った矢先に携帯が鳴った。
受信したメールを開くと「うちの家に集合」とだけ書かれていた。

送ってきた三堂に何事か、と電話をしたが繋がらなかった。
三堂のことだから、ナミと喧嘩したー、なんて物かとも思ったが、他の会議出席者にも電話が繋がらなかった。
一抹の不安を感じながら急いで車に飛び乗った。

「今日くらいは家でのんびりと過ごしたかったのに」
「まあまあ、そんなこと言うなよ」
「何かあったの?」

玄関で待っていた火口に聞くが、あー、うん、まあな、と要領を得ない。
もしかして、会議のことで問題が起きたのか?
そうなったら一大事ではないか。

「他の人は?電話繋がらなかったけど」
「まあ、繋がらないだろうな」
「?…何か隠してない?」
「いや」

明らかに怪しい。
火口は一度もこっちを見ようとはしないし、放心状態と言ってもいい。

「とりあえず、急いでくれ」
「え?あ、う、うん」

時計を見て速度を速めた火口に、走るように付いて行く。
表情が硬くなり唇を噛んだ、普段見ない顔に驚く。

「何で急いでるんだ?」
「早く行かないといけないんだ!喋る暇あるならもっと早く歩け!」
「わ、分かったよ」

剣幕に圧倒され、スーツ姿で革靴にもかかわらず走り出した。
帰ったら皺が付いてるって怒られるかな。
ここで歩いて火口に怒られるよりはマシか。

何で仕事終わったのに、怒られながら走らなきゃいけないんだよ。
全力疾走したのなんて久しぶりだ。
子供の頃、訳もなく走ることが多かったっけ。その度に殴られてたな。
ふふ、と笑みが零れる。

「ここだ」

一体いくつ部屋があるのか分からない三堂の家だが、そのドアは他の物より重厚だ。
濃い茶色に輝いていて、代々受け継がれてきた歴史を感じさせる。

「入るぞ」
「……ああ」

ぎぎぎ、と軋んだ音を立てるドアを火口は力任せに開けた。
普段使わないのだろうか。それほど大事なことを話すのか?
唾を飲み込んでから部屋に入った。


「はあ?」

開けた先にあったのは重苦しく座った六人、ではなく大量の瓶と既に赤らんでいる六人だった。
ワイン、ウイスキー、ジン、ウォッカ、日本酒、焼酎、リキュールと多種多様な酒が並んでいる。
どれもが高級品だ。さすが三堂の家というべきか。
瓶はかなりの量が空になっており、部屋に酒の匂いが充満していた。

「おー、葉鳥。遅ぇぞー」

鷹橋の息はかなり酒臭かった。

「あー!これ俺が飲みたかったやつなのに!」
「いいじゃねぇかよ。酒ならまだまだあるぞー」
「火口も葉鳥も飲め!!」

グラスを思わず受け取るが、これジンまんまじゃないか。
申し訳程度に氷が入ってるけど、飲んだら急性アルコール中毒で死ぬだろ。
鷹橋は周りにも薦めているが、誰も受け取っていない。
本人は瓶のまま飲んでいる。信じられない。机にあった水をどぼどぼと注ぎいれる。

「葉鳥」
「あ、三堂。これって一体?」
「忘年会。よく考えたら会議以外で八人集まった事ないから。結構いいもんだろ?」

三堂って厄介事を持ち込むことが多いけど、他人を思いやれるやつなんだよな。
嬉しくなって、涙ぐみそうになる。

「おいおい、何泣いてんだよ」
「ご、ごめん」
「よっし、じゃあ飲むか!」
「ああ」

グラスをぶつける。キーンという高い音も今では心地良い。
喉に氷ごと流し込む。口、喉、胃が熱くなる。
ああ、気持ちいい。

「飲み過ぎには気を付けろよ?あと一時間後までは潰れるなよ」
「分かってるって」

近くにあった瓶を適当に数本見繕って抱える。
談笑の中へ飛び込んで行った。


「あはは、うんうん。それで?」
「それがさー、俺ー」

酔いが回ってきたのか誰彼ともなく話し、笑った。
会議でのピリピリとした空気が嘘のようだ。

「なあ、聞いてくれよー。女房がさ」
「おっ、紙村、言ってみろ。俺が全てを受け止めてやろうじゃないか」
「鷹橋キモっ!」
「何だと〜?」

三堂と奈南川は脇でいちゃいちゃしている。
こういう時でないと二人密着できることなんてないんだろう。
三堂が奈南川の腰に手を回しているが、今日の奈南川は咎めもせず、むしろ嬉しそうだ。

尾々井は樹多とウイスキーを味わって飲んでいる。
時折目を瞑っては味を確かめているようだ。

俺は鷹橋と紙村と、いろんな物に手を出してワイワイ飲んでいた。
火口だけが一人でソファーに座り、一口一口飲んでいた。
珍しいな。大抵誰かに絡んでるのに。
ふぅ、と溜め息を吐いているのを心配して見ていると、目が合った。

「っ………」

驚いた。
火口の目は闇のようで飲み込まれそうだった。心臓がバクバクいってる。
そういえば、あいつと二人で話したこととかないんだっけ。
三堂や鷹橋に話しかけてるのはよく見るのに。

「なあ、火口に話しかけられたことってある?」
「あ?あるに決まってんだろ」
「ああ、会議と同じ様にぶすっとしてるけどな」

俺以外には話しかけてるみたいだ。
人を馬鹿にした態度をとるけど、自分の考えを曲げない強固な性格は信頼できるからだろう。
俺が嫌われてるのかな。

「何だ、急に?」
「…俺、話しかけられたことないんだけど」
「ははっ。そりゃそうだろ」
「何で」

紙村は口元にグラスを近づけたまま、目を細めた。

「……………」
「何で黙るんだよ!」
「そりゃお前が………馬鹿だから?」
「ば、馬鹿っ!?」
「大馬鹿だろ」
「ばーか、ばーか」

周りが馬鹿、馬鹿、と囃(はや)し立てる。
三人に口で対抗しようとしても負けるのが当然だ。

「なっ、馬鹿馬鹿言うな!」
「馬鹿はイッキ!!」
「よっしゃいけー」

鷹橋は琥珀色の液体を並々と注ぐと、無理矢理手に握らせた。
衝撃でグラスから少し零れて、絨毯に染みが出来た。
ウイスキーストレート!?ム、ムリムリ。

「おい、ちょっと待て!」
「ほら、イッキイッキイッキ」
「イッキイッキイッキ」
「う………」

覚悟して目を瞑る。
流れて来て咽(むせ)そうになるが、押し込むように飲んでいく。
身体がぽかぽかと温かくなっていく。

「どうだっ!!」

机に叩きつけるようにグラスを置く。
鼻からウイスキーの香りが抜け、少し頭がクラクラする。

「おおー、すげえ」
「まだまだいけるな」
「え?ちょっと、もうムリだって!」
「そっちあるかー?」

二人を止めようと鷹橋の腕に飛び付いた。
これ以上飲んだら倒れる!むしろ逝っちゃうかもしれないから!
無骨な腕に絡み付いて動きを止める。
力の差でぐわんぐわんと前後に揺らされ、頭の中で脳味噌がかき回されそうだ。

「おい、何やってんだよ」
「火口っ。止めてよ、もう飲めないって!」

涙ながらに訴える。死んじゃう、死んじゃうから!
火口は俺の顔をじっと見ると、横に視線をずらした。

「…三堂が呼んでたぞ。テラスに来いってさ」
「ああ、もうこんな時間か」
「あと二十分で新年か。何か想像付かないな」

鷹橋、紙村、樹多は立ち上がって歩いて行く。
鷹橋は右手に瓶を持っていた。まだ飲む気なのかよ…。
気持ち悪くなって、口元を右手で押さえる。

「葉鳥?」
「気持ち、悪い……吐きそ…」
「おい、ここで出すなよ。出したら一生許さねぇ」
「っ…ごめん。三堂に、横になってるって、言っといて……」

ソファーに寝転がって息を吐き出す。右手を額に当てるとかなり熱い。
飲み過ぎたな。普段はこんなことないのに。
話が楽しくて、時間も忘れて飲み耽(ふけ)ってしまった。
キツイ。ネクタイを乱暴に緩める。目を閉じて、ふぅ、と再び息を吐き出した。

「……火口?別にあっち行ってていいんだよ?」

今だ隣にいる存在を感じて、声を掛ける。
目を閉じている為分からないが、火口はソファーの横にしゃがみこんでいるらしい。
視線を感じて気まずくなる。
肺に溜まった空気をゆっくりと出すと、目を開けて微笑んだ。

「僕は、大丈夫だから、さ」

テラスで三堂達と話してきていいんだよ。と続く筈だった文は、日の目を見ることなく消えた。
眼前には闇が広がって、唇には氷みたいに冷たい物が押し当てられた。
時が止まったみたいに全てがゆっくりと動いている。
短い時間だったのか、長い時間だったのか、分からない。
目を見開いて、身動き一つ取れなかった。

「……テラスに行ってくる」

何が起きたのか理解できなかった。
右手を口に当てる。震える人差し指で唇をなぞる。
あれは、もしかして。

「キス、された?」

顔が赤くなるのが分かる。
何で、とか、どうして、とか、色々と疑問はあったのだけれど、恥ずかしくて考えられなくなってしまった。
同性にキスされたのに嫌悪感を感じなかった、なんてことも。





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